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鈴木幸希
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固着
2009/05/20(Wed) 01:02:19
個人的物質主義的なものが、まるで否定されているかのように世の中が巡っているのは、
数年前より一般化したファイル、データ共有の発展からに違いない。

といっても、自身の場合、こと音楽だけの狭いカテゴリーでしかないけれども、
レコード屋がつぶれるは、音源が無料で出回るはで、利便化にあまり気乗りしない。

レコード屋出店計画すら危ぶまれる・・・というか普通にやったら一瞬で消え去るリスクが大きくなっている一方である。

音楽(※芸術全般といってもいい)は多くの人に聴かれてどうのこうのという一説も間違いではないけれど、
例えば自身が音を作る際はまったくそんな事は頭にない。
だからといってただの趣味でもない。

何のためかといえば、稀にみる音楽でのトリップを自身から出力もので体験したいからではないだろうか。
だからといってそのためのメソッドを組めるわけもなく、どちらかといえば広義でいうdubがやろうとしてきた事に近い。

トリップと書くといわゆるマイナスイメージが付き纏う事自体に疑問を感じるが、
トリップに失敗してきた人間が多く存在するのだから仕方がない。

なにかを常飲して感覚が研ぎ澄まされる事に問題があるのではなく、
意識が過剰になった状態で無意識と意識の境目を見失い自身や他方になんらかの過失を犯してしまうことに
問題がある。

例えば山の頂上に登り、景色や空気、また達成感が合致した時、叫ぶものもあれば、感極まり涙するものもある。また、そんな事にも気がつけない本来の意味での障害者も多いし、気がついてもいないのに、リアクション的に事を繕うものもある。
経験という考え方もあるので一概にはいえないが、どれが純粋かは一目両全である。

安易な共有化も上記の事の弊害になってはいないだろうか。
書いている意味が伝わりにくいかもしれない。※なんせ書いているほうが混乱している。


何がいいたいかといえば、
自身の考え方がある程度固まってきていて、これからは多くの物事に対して否定的な感覚をもってしまうのではないかというある種の恐怖感が付き纏ったという話。

とはいっても、極少数の人物以外が共有する感覚値に興味を持つことはないのだが。
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