鈴木幸希
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2025/02/09(Sun) 13:52:39
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無題
2010/11/21(Sun) 00:22:49
traktor kontrol s4を触り始めて1週間くらいか。
outをKP3につないでzero4を経由するというコンパクトとは程遠い接続に落ち着いた。 レコードを併用するとなるとどうしてもこんな感じ。 セット換えのついでに、夜な夜なitunes上の整理を試みるも、失敗。 アナログ思考というか貧乏症というか、データなら取っておいてもいいか・・・的な判断に陥り、 整理もできずに結局増やしてしまう始末。 仕事用PCの中身は把握できても自宅のPCはいつもグチャグチャ。 根本が雑だから仕方がない。 そういえば、disk unionの番人と少し話をした。 相変わらず月に100枚は買うらしい。 データにしないのかと尋ねると、 アンニュイな面持ちで「うれしくないんだよね」と一言。 妙に納得した。 デジタルに移行しつつも、アナログを買い続ける理由は、 ある視点からみれば無駄でしかない。 まちがった判断なのだ。 しかし、 unionの番人しかり、自分しかり10年以上レコード屋に通っている身とすれば、 生活(中毒)そのものでしかない。 いよいよ時代に順応できなくなってきた、 歳をとったからか妙なこだわりを持ったからか。 レコードを聴くという事を、その他メディアと比較すると安っぽい答えに行き着いてしまう。 周波数がどうこうとか温かみがどうこうという話ではない。 レコードのジャケットが大きな意味合いをしめる。 現在では、音楽は映像とリンクされている事がほとんど。 メジャーレーベルでPVがつくられない曲は演歌くらいのもので、まず見かけない。 ※アニソンはなかったりもするようだが・・・。 PVではなくとも、ウォークマン移行、音楽を外に持ち出すことが可能になり、 場所や景色にあわせて、曲を聴く事ができるようになった。 レコードしかない時代はどうか・・。 自宅でスピーカーの前でジッとしている他ないのである。 レコードの片面が終われば針をあげねばならない為、なにかをしながら聴くという事も、 あまり効率的ではない。 ”これから音楽を聴く”という意識がなければレコードに針を落とす事はないのである。 そんな状況下で視覚的要素となるのは何か言えば、レコードジャケットとライナーノーツである。 ジャスレコードの中古品を買うとライナーノーツに赤線が引いてあったりする。 ソファでジッと聴きながら、ライナーノーツから情報を吸い上げていたに違いない。 レコードジャケットにしてもそうである。 ジャズのレコードは、奏者の顔のドアップだったりする事がほとんどである。 ある時まで理解不能だったが、じっと眺めていると、そのおっさんが演奏している情景が浮かんでくる。 要はジャケットをみて内在的にライブを視覚化しているわけである。 プログレはどうかといわれれば、超複雑なビジュアルである事が多いが、 これも同様。 意識の中で音を視覚化するヒントを与えられてくれる。 ※フロイドの牛は解読不明だが・・・。 音楽を視覚化するのは、ミュージシャンにとって危険な行為である。 PVのそれが本人のイメージとリンクするかといえば、妥協があるだろうし、 映像に音楽をつける際も同様。映画などそれでしかない。 クソみたいな曲をテーマにした映画は1年後、駄作となる。 ※その時は売れるのだからどちらがいいかといえば人次第だが。 レコードは、メディアではないのかもしれない。 もっと内在的なものの可能性がある。 極個人的な可能性であるが。 PR |