黒澤監督が、「映画と音楽は芸術形式が似ている」と言った後の話。
映画で時間軸を表したい場合の表現方法は様々。
シーンとシーンの合間に、外の風景を指し込み、また戻ると時間が経過したように感じたりする。
”流れ”というやつ。
黒澤監督はその”流れ”がいらないという。(そこでは、なぜいらないかという事について語らなかった)
その場合、音楽でいうカットアップに近い。
クラシックにおいて”流れ”は重要になっている。楽章として、組まれているくらいだ。
普通、人が瞬間的に”流れ”を切る事はむずかしい。
なにかしらのリズムがついてまわっている。(呼吸やら血流やら)
”流れ”を切りとるには、「機械」はかなり有効的だった。
映画にしても音楽にしてもフィルムを切り取って繋ぎ合わせることが出来るようになり、
時間を無視することができるようになった。
それにも関わらず、ある程度のリズムをキープさせた作品がほとんど。
別にそれがどうしたってことだけれど、
いったい何によってリズム(”流れ”)に捉われているのかが不思議でしょうがないだけ。
記憶か。
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