鈴木幸希
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2025/02/03(Mon) 11:02:18
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贔屓
2009/11/08(Sun) 01:31:05
現代美術館で友人と観たレベッカ・ホルン展は予想以上に、退屈だったことは間違いなく、
そんな時は、常設展を観て気を取り直す。 ※ウォーホル作品を観て金を払った事実を消化するわけだ。 美術館へたまに行くが、気持ちを満たすことは滅多にない。 それでも暇さえあれば企画展や展覧会を眺めに行く。 なんらかの関連本を斜め読みし、適当な文脈くらいは大雑把に知っている気でいるが、 歴史ではなく、思想の部分が記憶に大きく残る。 美術史に限らず、歴史的なものは個人(自身)が知った時点からスタートする場合がほとんどだ。 100年前だろうが、さっき知った事は、自身の中の現在なのであることに違いない。 ある一定期間、ある一定の枠の中で持続している物事に対する、現在進行形的動作は陳腐に見えてしまうことが、そのおおよそは上記からくる時系列破損状態が招くものだ。※極個人的な見解でしかないが。 例えば、jazz界の新鋭なんてのが毎年10組あわられたとしても、結局は3回ほどしか聴かれない。 と、いった矢先 菊池成孔とペペ・トルメント・アスカラールの新作、 『New York Hell Sonic Ballet』はすごい事になっていた。 彼の事となると、ものすごい贔屓になるが、 成ちゃんの音楽が好きかと問われると、半信半疑なところがあり、大概の作品は所有しているものの、 愛聴にはいたっていない部分があった。※ある種ダサい部分があるからだ。 ただ、今回は驚いた。(というかまだ聴いている最中だが) 多種多様な音楽的要素が、意図的に盛り込まれている様が表立っている。 やり口はまるでブレイクビーツもしくはオールドスクールばりのサンプリングミュージック的手法と同列にあるような輪郭なのだが、まるで違う。 彼の語り口が音になったような構成なのだ。(とてもわかりにくい表現だが。。。) 各地(各種)にある音のルール(※ここではジャンルではなく、ミニマル、コラージュなどの手法を指す)を、 一種にまとめ上げる方法として、ミックスという方法をとるのは容易であり、誰もが試みて成功もあれば、クソみたいなもんもある。 この作品はミックスなんて上品なものではなく、ほぼカットインの連続で構成されており、 それがミックス以上の効果を聴き手に与えているから異様なのだ。 彼の語り口は、よくぶっ飛ぶ。 例えば、音の話と、伊勢丹の話が平行していて、そこに彼の心理ではない、誰かの思想が盛り込まれる場合などがそれだ。 勧めはしないが聴くと面白い作品。 PR この記事にコメントする
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