鈴木幸希
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2025/02/09(Sun) 09:15:01
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音楽から
2010/02/03(Wed) 02:11:42
1月にたてた目標はいかにと振り返ったところ、
健康面以外はクリアーというなんともいえない結果。 ミックスをまとめて、トラックを2つ。 渋谷にいることが多く、レコードも漁り、電車の移動時間が増えた事で本も3冊読めた。 本からの影響は特によかった。 ①音楽から解き放たれるために 原雅明 ②ユングのサウンドトラック 菊池成孔 ③レコードの美学 細川周平 の3冊。 ここでは、 ①音楽から解き放たれるために 原雅明 について少し。 原雅明という人が気になったのはいつの頃からか。 買おうとする音源のライナーはこの人が書いている事が多々ある。 hiphipでもjazzでもエレクトロニックでも、なんでもかんでも ※good musicに限る。(彼は書きたい人を決めているのだろう。) そんな中、昨年12月にこの本が発売された。 簡単に言えば、原雅明が書いてきたライナーノーツ集といったところ。 音楽を評論する事は嫌気が刺す場合が多い。 タワレコが発行するBOUNCEに代表される、アルバム紹介や、 クソ曲ばかりを紹介するその他メディアの音に対する表現方法が、あまりに乏しい。 もっとも気持ちを逆なでするのが、シチュエーションを決定してしまうものだ。 ①いつ ※時間 ②季節 ③誰と ④どんなときに などを組み合わせる場合が多い。 一歩譲って第3者がそれを決定する事は、理由があるかもしれないし、 それを”歌”にしているほうはといえば、そんなもの自由である。 愛だの恋だの友人だの出会いだの別れだの勇気だの感動だの悪だの破壊だの、、、、 そんなもんだ。 それぞれがそれに対して何を感じるかはどうでもいいのだけれど、 それを一致させたがる(照らし合わせる)傾向に疑問が芽生える。 作り手は、幅を大きくする事でターゲットを増やし、リスナーが事実関係を曲げてでも照らし合わせ干渉に浸る。 要は宗教となにも変わらないところがあり、~~信者などと形容されたのはそのせいだろう。 その行為を音楽で行っている事にと、それが音楽として並列されてしまう事を無視している傾向にもあり、 インディーが生まれたはずだが、今やビジネス形態の違いでしかない。 (とはいえビジネス形態もほぼ一緒である。大企業と中小の違い程度だ) ここでいう音楽とは何かといえば、そんな大層なことを決定づける技量はない。 ただ、耳を信じるだけの話で、そんな雰囲気があっている人が稀に現れ、ニヤニヤするだけの話。 原雅明は明らかに、耳が肥えている。 彼のライナーは音に触れる事は避け、情報や、心情で構成される事が多い。 聴くのは、我々だという事を忘れていないし、下手に進めるような生っちょろいもんでもない。 その一貫性を受け、大いに感銘を受けた一冊。 1900円だけど、これを読み終わると数万円使ってしまう事になるので注意。 PR この記事にコメントする
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