約3年間使用した仕事用PCを返却する事になり、書類の整理に追われる。
長時間作業に飽きたので、気分転換の更新。
仕事用のPCで更新すればいいものの、気分転換というだけの理由でmacで更新。
PC内作業というのに、差別化してしまうのはバカの証拠である。
仕事用に代わりのPCを探しているが、まだ決まらずにいる。
※当分の間は、押入れにしまいこんでいたゴミpcを使う事になりそうだ。
自宅のメインpcかmacを持ち歩く事も考えたが、ソフトシンセやらwaveファイルと、
業務書類が一緒になるとゾッとする。
pcを自宅とたとえると、自宅が会社が会社になるようなもんである。
pptファイルなど、自宅pcからするとウイルスの塊である。
※反対に仕事pc内でシーケンスする気などさらさらおきないから不思議である。
macが目指ししてきた(少なくとも80年代までは)コンピュータ=思考(コンピュータ意識)
という考え方は、数年たった今でも実現されず、
道具としての方向性で技術が推し進められているようだ。
結果、コンピュータの中身は空っぽで、その容量やスピード、デザインをこちら側が選択するスタンスが定着した。車やなんかと同じである。
車の開発された時の事などまったく知らないが、
その思いの中には、瞬時に移動できる瞬間移動的なイメージが多少あったように想像する。
ただ、車は道路や法によって規制され、ある程度の形式がかった物体になってしまったあげく、
その未来性は、”電気で動きます”みたいな事になってしまった。
エコロジーが技術に介入するようになると、それはある種の創造を否定せざるおえなくなってしまう事にもなる。
※反エコロジーというわけではないが、全体的にそこに罪意識が芽生える事が恐ろしい。
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