鈴木幸希
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2025/02/03(Mon) 13:55:26
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2009/04/03(Fri) 00:23:04
知り合いに誘われて、池田亮司展のオープニングパーティーに行く事ができた。
それこそ関係者ばかりが集まり、開会式などをする場に潜入する機会は初めての事。 誘ってくれた彼とは、以前メディアアートを中心とした話で共通点があっただけの話。 希少な存在である。※特有の空気があり、アートに対しての執着心が高い。 池田亮司氏本人の挨拶からわかったのは、ニコライよりは性格がいいという点。 挨拶のほとんどが感謝の言葉だった。(反対にニコライにはそうであってほしくないという願望もある) 展示スペースに入ると、一瞬にして面を喰らった。 高解像度プロジェクター複数台をしようして映し出される映像(信号またはプログラム)の羅列は、 高周波とリンクし、(リンクさせているのは、おそらくこちら側の認識でしかないが)まさに池田氏らしい空間が展示そのものとなっていた。 人的感情は、ランダムである事は間違いがないのに、 整然と並べれた空間自体は、誤解を恐れずに言えばとても居心地がよく細胞レベルで人体に影響をきたしている事が感覚的にわかった。 永遠と変化するプログラムの中に身を置いていて気がつく事は、 観覧者の移動するタイミング、目を移すタイミングがほぼ同時だという事。 プログラムは確かに、変化をしているのだが、音がそれを繋いでいる。 具体的な変化のタイミングはといえば、線の回転方向が相対したり、効果自体が変化するという事なのだが、それをきっかけとしてこちらが動いてしまうという心理はどこからくるものなのか。 さきほど、心地がいいと書いたが、要はこれにつきる。 ループの優性と同じ心理である。 基本的に変化を嫌う性質がどこか根っこにあるに違いない。 池田亮司の超複雑系の中のシンプルがそれを感じさせるきっかけとなった。 作品に関しては、だれもが体感すべきものになっていたし、 それを観て下手な事いうやつは、どうしようもない存在だ。断言できる。 現代美術館のエントランス改修工事は長い間やっていたが、 建築自体に大きな変化は観られなかった。 ただ、ショップが移設したことでエントランス空間に一貫性がでたくらいの話だろう。 ※建築美というものは、あまりに巨大すぎていまだ理解できないのだ。 とにかく、必見。 PR この記事にコメントする
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