鈴木幸希
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2025/02/02(Sun) 23:42:37
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2009/02/15(Sun) 23:58:43
古い友人の結婚式があり、バレンタインデーは岩手に帰っていた。
式での挨拶、余興を経験し、いまさらながら大人になったような感覚である。 ※あくまでもなったようなという話である。 2年間ルームシェアしていた事もある新郎は、長い付き合いだけれど特に趣味が合うわけでもなく、 多くの行動をともにするわけでもなかった。 なんなら互いに接点の無い友人ばかりで、それを紹介しあうような事もなかった。 それは、単純に気が合わないからだろうと、互いにどこかで思っていたからに違いないし、 互いにプライベートに興味を持ち合う事もなかった。 会う時は、2人だけの事のほうが断然多く、話す内容はといえば、ごくごく身近な事。 例えば、恋人の事や、親の事、学校(仕事)の事といった感じ。 そうゆう話を表だってする事に羞恥心すら感じていた学生の頃は、 彼くらいにしかそんな話をできなかったのだろう。 別に私は約束を守るような男でも、良きアドバイスをできるような男でもない。 だまっているか、「へー」と一言付け加えるのがやっとの男である。(頻繁に騙された。とか言われる) 彼は過去を辿れば辿る程、どこか曲がった性格を持ち合わせており、表面は決していいとは言えない男である。 ※失礼な話だが・・・。 しかし、一緒に何も考えずに短パンでタイヤ山に基地をつくった男の性格がどんなモノであっても、どう変化しても、関係のない話なのだ。 人が成長して得る性格など、上っ面や受け売りでしかなく、 1年もあればどうにでもなるものなのだ。 ある曲が変える事もあれば、1冊の本が変える事もある。 自己が発する言葉、主張は、過去の産物の選択肢でしかない。 そう考えると、何一つ考えなんてなかった頃に近くにいた人間というのは、 不思議なもので、ただただ時間を共有していただけというある種の亜空間的な感覚ですらある。 結婚式の話から大きく離れた。 2人で暮らして行こうというのがどうゆう事か、想像もつかないのが個人的実際問題だが、 そこに執着をもっているわけでもない。 なんならずっと1人で過ごしている事に、不満はない。 ただ、過去に出会った数少ない尊敬する人物が、 「一人の孤独は大体経験した。2人の孤独というのがどうゆうのもか経験しておいた方がいい」 と仕事中に半笑いで言っていた事が頭を過る事がある。 今日も、昨年結婚した友人の家に上がり込んでいて思ったのだが、 まぎれもなく2人の家なのである。 よくわからないが空気がそうなのだ。 cobraが暴走すれば、反省するという繰り返しすら、2人の家だからという場所がそうさせたのであって、それが今はなき蔵の中であれば、空気がよどんでいく一方だったわけである。 2人になるという事は、なんらかの変化が訪れる事は間違いなく、 それが経過していくと、2人の孤独という事も経験するに違いない。 ただ、結婚の理由がそんなことであるならば、しないほうが懸命であろう。 PR この記事にコメントする
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