鈴木幸希
[PR]
2025/02/14(Fri) 08:24:48
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
更新
2009/05/05(Tue) 12:23:13
更新が 少し久しぶりになったのは、遊びほうけていたからだ。
先週は、誘いでDefected10周年のパーティーでagehaに行き、 5月2日は,THA BLUE HEABのこれまた10周年記念ライブ。 間に友人との山梨旅行をはさみ、今日はALTER EGO出演イベント。 今は、久しぶりに一人の時間になった。 曇り空がいい感じに身体を抑制し、考え事が出来る時間が今である。 こうゆう時間は、最近稀である。 こうゆうときは、音楽すら聴かない。タバコも吸わず、食欲もなくなる。 無欲に近い状況なのかもしれない。 イメージの話だが、無欲になると、体内がクリーンになる感覚がある。 こうゆうときは、何事も溜め込まずに済ませてしまいたい。 掃除にしてもPCの整理にしても、レコードの整列にしても、読み終えていない本なども、 思い立った事は済ませてしまう。 頭の中だけでなく、外周も整理する。 その中で余分なものは捨ててしまう。 これをするといいか悪いか、気分が変化してしまう。 外周を整える事で、頭の中が整理されたと錯覚してしまうからかもしれない。 ここも更新した事だし、次に進もう。 (現在はPC内の整理中で、アップデートやら何やらを済ませている最中に思いついたものだから書いていた。) PR
nh
2009/04/23(Thu) 01:13:34
ミックスしていると、突然ハイに襲われた。
※あまりに唐突だったので、襲われたという表現が近しい。 改めて書く程の事でもないが、 音楽が好きという意外にDJを続ける理由はそこにあるのかもしれない。 ※好きならただ聴いていればいいだけの話。 ミックスは、はじめ著しい緊張感を伴う。 例え10年やっていてもである。 リズムをキープするというよりは、 グルーヴを繋げるといったのは誰だったか、 私が4つ打ちでのミックスをどこかで嫌う理由はそこにあるかもしれない。 4つ打ちのグルーヴ感は時にすさまじいまでの高揚感を見出すが、 実は、なかなか味わい事ができない。 ※kenny dopeでもkenseiでもピンと来なかったが、とある日の井上馨にもって行かれた事がある。 ある種のルールがこちら側に依存される分、それ以外の部分が重要になってくるからだ。 今日、会社帰りにジャジスポ寄って、レコード抱え渋谷を歩いていると、 それこそ8年ぶりくらいにある知り合いとすれ違った。 彼は、レコードを買う事は止めて、家庭を持ち立派な男になっていた。 ※こちとら適当な私服でレコード抱えてふらついているもんだから、 向こうは初め敢えて仕事の話をしなかったという事が後で判明した。 音楽をやったり、レコードを買い漁ったりする人間が周囲には稀になった。 昔はどこにでもレコードの話やミックスの話をしていたと思うと恐ろしいものである。 音楽に限らず、人は年齢を重ねると、行動に変化がみられるケースがほとんどだ。 例えば、スポーツをやめて観戦に回ったりというのもそうである。 体力が、とか、経済的に、とか、いろいろと理由はあるにせよ、 これにはどうも疑問を感じていた。 情熱がどうこういう話でもない。アスリートのそれが情熱だけとも思えない。 では、なにか。 思うに、ハイになるかどうかという事に繋がってくる。 ハイというのはどうゆう状態かといえば、 自律神経をこちら側(簡単にいうと意識状態の自分)でコントロールすることでもある。 自律神経は自身の意思では、どうにもできないゆえに自律と呼ばれているが、 果たしてそうだろうか。 自律神経失調症などは、結局のところ、自身を見失っていたに過ぎない。 よくそんなことが出来る。 自分に厳しいという事を勘違いし、外部に対しての自分しか見えていないということか。 自分がどこにあるか見失った末であろう。 自身とは脳であるという説がある一方、 自身のテリトリーは皮膚より約70センチと言われることもある。 自身の皮膚より70センチのところに自身の分子があるのだろうか。 どこで感じるのだろうか。 目隠しをして、ヘッドホンをつけた人物に無音、無振動で近寄った際にも、 目隠しをした人物はテリトリーに入ると異常に気がつくという実験結果がある。 一方、私たち自身は脳でしかない。こちらも、様々は書物を読めば納得のいく話。 ※茂木とか布施とか養老とか。 では、70センチのテリトリーはいったいなにかというと、無意識の自分という事が言える。 自律神経のそれと近い感覚かもしれない。 意識状態にありながらも、人は無意識状態を感じる(または見る)事が出来る。 瞑想、ヨガなどは代表例であろう。 ※ちまたのヨガ教室はどんな事をしているのあろう。ちなみに瞑想教室というのも存在し、 過去2回、街を歩いていただけで勧誘された。 ハイになるという事は、無意識と向き合う事であり、 その体験を必要としない日本社会では、自律神経がおかしくなるという症状が年々増え続けている。 ※例えばインド人はどうなのだろうか? 子供の頃、がむしゃらに回転したり、走り回ったり、恐怖を押さえ飛び降りたり、喧嘩したりと言う事は誰にでもあったと思う。 無理をすると吐き気がしたり、けがをしたりといい事はないのはわかっているが、 何度もやり続ける。 きっと本能的にハイになりたいからだろう。 今の子供にはゲームがあり、彼らの視点からするとハイになる事ができる。 ※副作用が少ないが。 なぜか、年を重ねるとハイを必要としない。というより、ひた隠しになる。 ハイになる方法を忘れ、酒を呑んだり、草や薬吸ったりしている様は、なぜか侘しい。 それはきっと自身の能力によるものではないからし、誰でも到達できるハイだからだ。 それに副作用や、限度もある。一時的なものという点も挙げられる。 今後、ナチュラルハイを取得してみよう。
不良
2009/04/15(Wed) 00:25:39
体調を崩し、熱、鼻水、ノドが一気にきた。
その辺のウイルスに抵抗も出来ない自身の身体だが、 薬なしでもほっとけば、そのうち治るから不思議なものだ。 抵抗細胞を増やそうと脳が指令を送れば、新細胞が作られるのか。 それにしても、なぜこうも急に症状がでるのか。 幼少期、熱や咳が出ている時は、”体内で戦争している最中”と言うような事を医師が言っていた。 薬は、秘密兵器。 医師もうまい具合に少年をあしらう。 現在の状況はまさに戦争中。 何か不純物が体内に溜まっていたのだろう。 これが治ると、すっきりする事は知っている。 ふらつくので睡眠。
アナーキー
2009/04/08(Wed) 01:12:23
先週末と昨日、衝動買いで観葉植物を買った。(どちらも小さいもの)
深夜まで起きてるわりに、目覚ましに頼る事なく、目が覚めるようになった。 誤解なくいうとソウルミュージックをぶち壊したようなレーベルを発見し、買い漁っている。 腹は減るが、喰いたいものが少ないという事が腹立たしい。 身体を動かさないとイライラする。 以上が、ここ最近の傾向。 季節の変わり目によるものかなんかだろう。 日本には四季があるとはよく言ったものだ。 環境によって、大きく左右されてしまうおめでたい感性は、いかなるものか。 終着点という場所があるとすれば、過去自分には無縁だ。 もちろん、終着したものに対しての嫉妬心は芽生えている。 変化と継続はバランスなのだろうか、それともそんな安易なものではないのか。 アナーキーが邪魔である。 |