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鈴木幸希
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2025/02/19(Wed) 10:16:45
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2009/04/03(Fri) 00:23:04
知り合いに誘われて、池田亮司展のオープニングパーティーに行く事ができた。
それこそ関係者ばかりが集まり、開会式などをする場に潜入する機会は初めての事。

誘ってくれた彼とは、以前メディアアートを中心とした話で共通点があっただけの話。
希少な存在である。※特有の空気があり、アートに対しての執着心が高い。

池田亮司氏本人の挨拶からわかったのは、ニコライよりは性格がいいという点。
挨拶のほとんどが感謝の言葉だった。(反対にニコライにはそうであってほしくないという願望もある)

展示スペースに入ると、一瞬にして面を喰らった。
高解像度プロジェクター複数台をしようして映し出される映像(信号またはプログラム)の羅列は、
高周波とリンクし、(リンクさせているのは、おそらくこちら側の認識でしかないが)まさに池田氏らしい空間が展示そのものとなっていた。

人的感情は、ランダムである事は間違いがないのに、
整然と並べれた空間自体は、誤解を恐れずに言えばとても居心地がよく細胞レベルで人体に影響をきたしている事が感覚的にわかった。

永遠と変化するプログラムの中に身を置いていて気がつく事は、
観覧者の移動するタイミング、目を移すタイミングがほぼ同時だという事。

プログラムは確かに、変化をしているのだが、音がそれを繋いでいる。
具体的な変化のタイミングはといえば、線の回転方向が相対したり、効果自体が変化するという事なのだが、それをきっかけとしてこちらが動いてしまうという心理はどこからくるものなのか。

さきほど、心地がいいと書いたが、要はこれにつきる。
ループの優性と同じ心理である。

基本的に変化を嫌う性質がどこか根っこにあるに違いない。

池田亮司の超複雑系の中のシンプルがそれを感じさせるきっかけとなった。

作品に関しては、だれもが体感すべきものになっていたし、
それを観て下手な事いうやつは、どうしようもない存在だ。断言できる。

現代美術館のエントランス改修工事は長い間やっていたが、
建築自体に大きな変化は観られなかった。

ただ、ショップが移設したことでエントランス空間に一貫性がでたくらいの話だろう。
※建築美というものは、あまりに巨大すぎていまだ理解できないのだ。

とにかく、必見。


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無題
2009/03/30(Mon) 22:27:02

 4月2日〜現代美術館では”池田亮司展”が始まる。
さらには、4日から森美術館で開催する”万華鏡の視覚”にはカールステンニコライが参加。

ロス・カルピンンテロスが観れるのも個人的にうれしい。
資生堂ギャラリーで出版している小冊子で観て以来気にかかっていた。

pic04.jpg

それにしても池田亮司のライブ以外を観るのは初。

ライブだってダムタイプやってた頃の話。

セカンドアルバムの「+/−」は音楽史に名を残す事は間違いない話。

当時パルストーンの羅列にぶっ飛んだ。
一度HIPHOPの箱でかけたら、友人が「いくとこいったね。」と言った事を思い出した。
※スピーカーが嫌な音を鳴らしていたの、表現不可の高周波のせいであったに違いない。

その事に割と影響があった事は間違いない。

そういえば、
ほぼ同時期にカールステンニコライも海の向こうでパルストーンを並べていた。

2人が出会い、共同作品を残すも、個性がまったくでない結果となった。
交わるという表現よりは、一個体なのである。

ウルトラミニマルが2種重なったところで、ウルトラミニマルなのである。

それにしても、
東京に良さを感じるのは、こうゆう時である。
亮司、ニコライが同時に観れるし、数週間前には、スライが来日していた。※無関係だが。

不必要性
2009/03/22(Sun) 03:11:27
 いろいろな事が思い浮かぶが、決して実行するわけではなく、
シーケンサー上に1ループが次々と溜まって行く。

レコードの収集と、音楽制作はある種逃避に近い感覚であるようにも思う。

実行しないのなら、思い浮かばない事のほうが健康的なのではないか。



日光で友人嫁の展示会を観た帰り、本を読んだ。
ノンフィクションの類いは一切とは言わないまでも、ほぼ読む事はないが、
その作家だけは、とある友人に進められて以来、つい気にするようになっているし、書き上げるペースも早いので、飽きる事もない。

ちょっと遠出をしたからだろうか、感受性がいつもとは違っている自分に気がついた。
この感覚を音楽で感じる事はないのは、きっとろくな聴き方をしていないからだろうという自覚もある。

感受性の衰えるものなのだろうかと感じる事も多々あるが、
単に繰り返しの慣れの果てのようにも思う。

飽性の性格がレコードに執着するのは、音楽がどうのこうのという理由以外に、
単に、新感覚を求める手段としてという面もある。

個人が生きる間に聴ける音楽は限られて、
とはいえ、なにかひっかかりがあれば、2度3度聴く事をする。

そもそも自身に影響を与えるような音楽が、1度聴いたくらいの話で済むのなら
レコードという媒体でなくてもいい。


話がそれているのかどうかもわからない。
頭の中がグシャグシャしてきた。

久しぶりに味わうこの感じは、寝て起きると綺麗に消えているのだから勝手なものである。

vacant
2009/03/18(Wed) 01:02:26
 
moongarden3.jpg















原宿ラフォーレ横の一等地に、新しいギャラリーがオープンする。
Vacantという名前の、ギャラリーというよりは、倉庫にロフトがついたような感じのようだ。

そして、今週末のプレオープンは例のchim↑pom。

このくらいが丁度いいのだけれども。
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