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鈴木幸希
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2025/02/14(Fri) 05:28:38
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環破
2009/05/26(Tue) 00:24:17
とある人からメールがきて、月の半分は家に籠もれるようになりました。という報告が来た。
若い彼は、創作という行為を行いながら、それは生活の為に働かねばならず、その結果、月の半分働くという状況を見出したのだろう。

私自身、学校を卒業してからや、転職の間はそんな生活をした事もあった。
いまだにふとすればそんな生活をしてみようとも思い立つかもしれない。

創作の時間というのは、それぞれだとおもうが、自身の場合、24時から3時までの間がその時間である。
これがわりに規則正しい。

ただし、睡眠の前に頭や身体を使うものだから決して安眠しているとはいえない。

月の半分を創作作業にあてると、意識は大きく変容してくる。
所謂、社会活動に支障をきたすレベルであることには間違いないが、創作の深さがましてくることは間違いない。

自身のように3時間で何ができるかといえば、1時間は前に作ったループを聴いて、1時間は次のファイルや音を探す。後1時間で録音し音が作れればいいほうである。

シーケンスは人一倍遅いはずである。

では時間が永遠とあると、すんなり行くかといえば、1時間でできる作業が2時間になるだけなのである。
長時間、引篭もって創作する行為は自身には向いていないのか、単に持続力がないからなのか・・・。
※飽き性という性格から後述が正しいのだが。

ただ、延々と音楽を聴くことは好きである。
音楽を聴き続けるというと、なんてことなく感じるが、言ってみれば、映画を見るように聴く事である。

ケージの音楽を聴けば、誰もが音に対しての意識の向け方を深く認識せざる終えない。

音を聴く事はとても難しい環境が必要になる。
例えば、オーディオ以外の音を遮断させる必要があり、昼間はあまり向かない。
人の声や車の音が少なからず部屋に入ってくる為、窓やシャッターを閉める。
とはいってもタバコを吸うものだから、換気扇を回すとそこから音がする。

ヘッドホンという手もあるが、空気の振動が好きなのだから仕方がない。

とはいっても、その音以外の音が聴こえなければいいというものでもない。
jazz喫茶では、周囲の音を常に感じつつも音に集中することができる。
それはそれで環境なのだ。

クラブミュージックが箱で聴かないと無意味に等しいのと同じである。
あんなもの耳が痛いほどの悪環境で聴くからいいのであって、自宅で聴いててもどこか侘しい。


衣食住という言葉がある。どれも人にとっては必要なものだ。
ただ、あまりにも狭い定義ではないだろうか。

この言葉に対して、どこか依存してしまっているのではないか。
服屋、飯屋、会社が立ち並ぶ都市を歩いても、多少楽しくはあるがテンションはあがらない。

街中の構造がネットに似ているのか、ネットの構造が街中に似ているのか知らないが、第三者としての思考はほぼ同意である。※ネットで飯は喰えないが。

テンションがあがらないというのは、とても大きな問題で、
3大要素に固執するあまりそれでしかなくなっているのかもしれない。

音楽を聴きにライブに行くことや、自然に触れに山に行くこと、時に集団で祭りをすることが、ある種特別な事として認知されているのが、そもそもの間違いであって、危なく気がつかないままである。

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固着
2009/05/20(Wed) 01:02:19
個人的物質主義的なものが、まるで否定されているかのように世の中が巡っているのは、
数年前より一般化したファイル、データ共有の発展からに違いない。

といっても、自身の場合、こと音楽だけの狭いカテゴリーでしかないけれども、
レコード屋がつぶれるは、音源が無料で出回るはで、利便化にあまり気乗りしない。

レコード屋出店計画すら危ぶまれる・・・というか普通にやったら一瞬で消え去るリスクが大きくなっている一方である。

音楽(※芸術全般といってもいい)は多くの人に聴かれてどうのこうのという一説も間違いではないけれど、
例えば自身が音を作る際はまったくそんな事は頭にない。
だからといってただの趣味でもない。

何のためかといえば、稀にみる音楽でのトリップを自身から出力もので体験したいからではないだろうか。
だからといってそのためのメソッドを組めるわけもなく、どちらかといえば広義でいうdubがやろうとしてきた事に近い。

トリップと書くといわゆるマイナスイメージが付き纏う事自体に疑問を感じるが、
トリップに失敗してきた人間が多く存在するのだから仕方がない。

なにかを常飲して感覚が研ぎ澄まされる事に問題があるのではなく、
意識が過剰になった状態で無意識と意識の境目を見失い自身や他方になんらかの過失を犯してしまうことに
問題がある。

例えば山の頂上に登り、景色や空気、また達成感が合致した時、叫ぶものもあれば、感極まり涙するものもある。また、そんな事にも気がつけない本来の意味での障害者も多いし、気がついてもいないのに、リアクション的に事を繕うものもある。
経験という考え方もあるので一概にはいえないが、どれが純粋かは一目両全である。

安易な共有化も上記の事の弊害になってはいないだろうか。
書いている意味が伝わりにくいかもしれない。※なんせ書いているほうが混乱している。


何がいいたいかといえば、
自身の考え方がある程度固まってきていて、これからは多くの物事に対して否定的な感覚をもってしまうのではないかというある種の恐怖感が付き纏ったという話。

とはいっても、極少数の人物以外が共有する感覚値に興味を持つことはないのだが。
wd
2009/05/19(Tue) 01:09:06

全部こんな感じ
快眠
2009/05/17(Sun) 11:16:48
疲労が溜まり、倒れるように早く寝て朝5時に起きた。
雨が降ってて低気圧の中のわりに目覚めがいいし、体調もいい。

おそらく深い睡眠をとったに違いない。

シーケンスしていたループが流れる中、睡眠をとったのも理由なのか、
この感じは異様である。あの疲労感はどこへ。

睡眠の方法も様々あるのは知っているが、
どうも実践したり、心がけたりする事はしていない。

ギリギリまで、なにかをしてバタンと寝る。

寝よう寝ようとベットに入り、明かりを消して・・・というのはどうも苦手なのである。


良い睡眠が取れた理由から、少し睡眠について調べてみると、
やはり、普段に自分は、良い睡眠を取れていないようである。
というよりは、睡眠以前の問題が多い。

喫煙や、食事もそうだが、
睡眠前のカフェイン摂取、音楽による脳活性なんてのもある。

睡眠にしても何にしてもそうだが、健康法を実行しようとすると、
自身の生活スタイルのほとんどが否定されてしまい、納得がいかない。

身体資本という事は間違いないけれど、生活スタイルを変化させる事にストレスが残るに違いない。

成長ホルモンの分泌が少なくなっている今、睡眠が身体の回復であるという意味は少なくなっていて、どちらかといえば、脳を休めているという意味合いが大きい。

無理に理由をつけると、今後年齢を重ねるにつれて上記のような事になると言えなくもない。

睡眠で回復しなくなっている身体は鍛えるしかないのか・・・。

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