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非啓発
2009/12/10(Thu) 00:24:20
”できる”知り合いの家に行く機会があった。 PR
アセンション
2009/12/01(Tue) 19:04:35
人に埋もれず、マヤ文明ブームに乗っかっている。
先日、古本屋で”ムー”をついつい立ち読みしたことから始まったのだけれども、 中南米のジャングルにピラミッドだけ残し、突如消えてしまった文明をいうだけでも興味が沸いてしまう。 その中でも結局気にかかるのは2012年12月22日の話。 簡単に書くと、 古代アステカの人々の間で伝承されていた、『5つの大陽(世界)伝説』からなる、5つの世界。 5つ目の世界が現代。 マヤ暦と現代暦を重ね合わせると、2012年12月22日がそれにあたる。 それが何を意味するかといえば、公開中の映画のような天変地異的な事が創造されたりしてりるが、 少し検索しただけでも、さまざまな諸説がある。 ・巨大隕石落下 ・3日3晩の暗闇によるパニック ・温暖化⇒氷河期 ・ポールシフト ・ライトボディー化現象 ・地球テレポーテーション ・人間霊性試験 ・意識の次元上昇 ・古代人復活(精霊解放) ・宇宙人戦争 ・第3次世界大戦 上記以外にも、非科学的なものを中心にさまざまな諸説があるに違いない。 ”人間霊性試験”などは、極端な例で、 あるレベルに達していない人間はアセンションできないというものである。 ※アセンションとは、現代の3次元世界から、より高次元世界へと進化することと定義されている。 極宗教的な考え方だが、意識向上の認知拡大促進とでもいったところだろうか。 似たようなので”意識の次元上昇”というのがある。 詳しくは、書物を読まないことにはわからないけれど、 要するに物質全体の意識レベルが急に変容し、あるレベル以下の意識は消滅?してしまうというような事。 意識のリセットとでもいえばいいだろうか。 ここでいう意識レベルは、医学分野の話ではなくて、心の話。 一時流行っていたスピリチュアルの話だ。 では、自身の意識レベルはどのくらいなのか、、、、、という話になるが、 1~1000までと数値化している団体もあるようだ。 人間に限った事ではなく、物質や場所すべてに意識レベルがあるとしている。 物質に意識があることはいうまでもないが、 場所といえば、数値が高い場所がパワースポットとされる場所になる。 人もパワースポットにいけば影響を受けることが出来るし、食ひとつをとっても数値は上がり下がりする。 東京にいて、まともなものを食っていない私の意識レベルは最低ラインという話だ。 低い意識レベルに囲まれると、互いに悪影響しか及ぼさない事ももっともな話で、 人、物、場所すべてにおいて注意をはらったとすると、やはり僧になったような姿が思い浮かぶ。 こうなるとアセンションを理由付けにした近代社会批判の成れの果てか。 意識の拡大を図る場合、どうしても原始的要素が何かしら絡んでくる場合が多い。 こうなるとアセンション後の世界というのは、進化というよりはリセットという形に近い。
eleg
2009/11/24(Tue) 19:55:32
先週、エレグラ2009に行った。
例によって、cobra、axionの2人と一緒である。 ※メタモ、taico×2に続き、fesはこの面子といった感じ。※当初はもう一人いたが・・・。 個人的目当ては、フライングロータス、ハドソン・モホーク、ONO、BATTLESといった感じ。 会場の幕張へ向かう前に渋谷で焼肉を喰らい、 幕張でも2件目に入り、開演しているにも関わらず、のんびりと呑む。 後10歳若ければ、開演前に走っていったに違いない。歳というのはこうゆうものか・・・。 腹も膨れたところで会場に入ると、 劣悪の音響の中、ヨーグルトが回している。 謎のキャスティングは謎のままに終了。 その後、目当てのハドソン・モホークを見ると、 とりあえず、デブである。プロフィールの写真の2倍はある。 デブのロービートはかなりいい感じである。 ライブ感は一切なく、自名のサンプルと適当な音色を原音に足しているだけ。 残念ではあったけれど、事情はなんとなくわかるので、なんともいえない。 その後、”!!!”の出番となった途端に、後方から人が詰め掛けてくる。 ファンが殺気だっているのである。久しぶりの感じである。 ダイブ、モッシュ、レッキンなんて数年していない。 (※他にも、”空中ブランコ”、”立花兄弟”、”ダイブ落とし”なんて技?があった・・・。) とはいえ、あまりの混雑に嫌気がさし、別フロアへ移動。 ※これも歳のせい。 タナカフミヤは、特別感想なし。男前なだけである。 その後のclarkはよかった。 噂どおり、クリスクラークから名前を変えてからは、かなりぶっ飛んでいる。 ダーティな感じだけが元のままで、後はぶっちぎっていた。 clarkになにがあったのだろうか。 clark途中でbattlesへ移動する予定だったが、 あまりの良さに結局最後まで見る。 battlesへ移動すると、ホールから人が溢れている。 battlesは昔観ていたが、ライブの記憶がよかったかといわれれば、そうでもない。 ただ、ステージも客も異様な緊張感があった。(バスドラを鳴らすと静寂する感じ) ただ、今回は違う。ステージはダラケタリハーサルのような音ばかりが流れ、 なぜかその音に対して客が煽られている。これだったら何でもいいという具合だ。 終始イラつきながら観て、終わることにはbattlesが嫌いになっていた。断言するとクソバンドである。 次は、ONOちゃん。 正直、リキッドルームで鳴った音よりは悪かったが、あれは完全にシステムのせいである。 ※ヨーグルトの時に、ONOちゃんは客席センターで音を聴いていた。あの時、何を聴いていたんだろう。。。 とはいえ、リキッドよりも近距離でみたONOちゃんのライブは、かなりいい感じだった。 集中している顔つきが見て取れた。 ※客のレスポンスは最悪だったが。(今回全体的に言えたことだ) あんなにライブらしい事をシーケンスベースでやれる人もそうはいない。 続いて、クリス・カニンガム。 好きかといわれれば嫌いな映像である。ただただヤバイ。 音質の鋭さに度肝を抜かれたが、映像が手抜きで飽きてしまう。 視覚効果の弱点。 終盤、疲れきった耳と体でフライングロータス。 音楽性からしてシリアスなスタイルかと思えば、常に白い歯むき出しでアガリまくっている。 ※シラフか否かは不明。 音源聴いているよりは、よっぽどいいライブだったが、 異様に音質が違っていて新曲と勘違いする楽曲が多数。 飽き性らしいので、データを差し替えたのかもしれない。 休憩は一服程度でスケジュールを追っていたので、相当疲れていたが、 ロータスの音は、心地よくも悪くもあった。見てよかった事には間違いない。 トリはLFO。 これまた予想に反してブチ上げている。ついていけずに後方で立ち見。 時代に沿わない音を連続させていたが、とても新鮮であった。 LFOには最後まで付き合わず、退場。 あまり酒が入らなかったのと気温が低かった事で、朝方はたいした眠気もなく。 今回場所が幕張だったが、fesはやはり遠方が好ましい。 smashの社長が言ってた言葉だ。 やはり、わざわざ山の中で音楽を聴く意味は、確かにあるようだ。 次回
trak
2009/11/14(Sat) 01:49:14
数年間が踏ん切りがつかないでいた、djシステムをデジタルに乗り換える事にした。
seratoかtraktorか悩んだ末、 mix中のスクラッチを想定して4デッキ対応のtrackorにzero4をsetして購入。 ※使用中のdjm-909は、愛称がいいので3chに噛ませる形でスクラッチ用で活用。 いままでデジタルに乗り換えなかったのは、出始めのdjソフトのトラウマと、 単にアナログファンという極個人的な理由でしかなかった。 seratoがvinal操作に対応した頃から、 アナログ派のdj陣が乗り換えをはじめ、あっという間に浸透し、 今では、レコードを現場に持ってくるほうが珍しいくらいになった。 レコード屋がつぶれたり、ミュージシャンがvinalを切らなくなったのも当然の話だ。 しかし10年もレコード触っているからだろうか、 どうも乗り換える気がおきなかった。 それも、ほぼメリットしかない事を知っての上である。 そんな重い背中を押したのは、今年の夏の悪友の家で実物に触れた出来事が大きい。 スクラッチの精度にまったく問題なかったのと、ループ機能の即効性が、まるでcdj-1000に初めて触れた時のような衝撃だった。 その瞬間からやけに気になりはじめ、意識するようになった。 ※もはやこんなモノにしか恋できないのである・・・。 暇があればネットで調べたり、店で触れたりとしているうちに、 後はタイミングだけの話になっていたのだが、 そこに追い討ちをかけたのは、適当なフリーペーパーで、どうしようもないやつが発言していた一言。 「僕はレコードを買った時がないんですよ。djはじめた時から、曲はすべてダウンロードです。」 もう少し自分の気性が荒かったら、ページを破って燃やしていただろう。 実はこんなことは、以前もあった。 それこそcdjが普及し、針飛びの恐れから開放されたとき、現場にcdしか持ってこないdjが増え、 そんな現場に立ち会うと嫌気がさした。 といっても自身はcdj-1000の発売と同時くらいに手を出していた。 しかし、現場にcdは一枚も持っていった事がない。いくらcdでかけたい曲があっても、 cdを使うくらいならかけたくなかった。 なぜ、cdを拒絶したかといえば、 単にレコード彫ってないヤツと一緒になるのが嫌だっただけの話。 レンタルcdをコピーしてるような感じに疑問を感じていたのである。 で それに追い討ちをかけるように、今は完全ダウンロード。 デジタル移行するとはいえ、レコード屋に行く習慣がなくなる事がない限り、 ダウンロードには、まだ縁がなさそうである。 音がデータでしか所有できないのは、どうもイメージができない。 パッケージありきの話。 溝に触れないなんて不憫でしかない。 溝が磨り減って消耗し、音質が変わる。 悪いことだろうか?一概にそうとも言えないはずである。 djはレコードから始まった。 それを無視して、レコードにも触れたことがないdjがこれから多くなる。 そんなdjばかりに好き勝手やらせるわけにはいかない。 レコードの特性を知ったうえでのmixをデジタルで表現し、差別化を図るべく、 楽してるだけのmixとは一線を画すmixをデジタル環境でつくる事が最大の目的なのかも知れない。 利便性に飲まれるとどうなるかは、ロック文化が教えてくれた。 単純化すれば、大枠はだれでもできる。そっから先の話だ。 |