鈴木幸希
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10
2008/11/19(Wed) 00:19:30
売り上げ不振からオンラインショップに切り替えたシスコが廃業した。
数年前のhotwaxに始まり、ラフトレード、スパイスを経て、大手シスコが倒産。 マンハッタンも店舗縮小。ギネスとトライブが合併。 dmr、jetset、wenodあたりはグッツ販売で持ちこたえてる感じ。 ユニオンに若者は居ない。ワルシャワの移転は意味があったのか。 もう名前も出てこない一瞬にして下着屋と化した店もある。 一時ベスタが、丸井の最上階に構えていたのが懐かしい。 こないだ友人の家へと下北へ行った。 ひよこレコード、zeroあたりを眺め、少し気持ちが落ち着いた。 その翌日、まさかと不安にかられ、三鷹のパレードに行くと、 以前のまま、おっさんが丁寧に濡れぞうきんでゴム盤を拭いている。 安心した。 少し掘っていると、相変わらず低価格でやっている。 都内で一番素敵なレコード屋であることは間違いない。名店だ。 いつまでも残っていてほしい。 (なんなら跡継ぎしたいくらいだ) いい話もある。 yellowが復活するらしい。 どこに出来るかわからないけれど、また別の形で遊べるのがうれしい。 レコード中心に世の中回っているものからすれば、 どんな経済情勢よりも激しい10年間だなと思った今日この頃。 円高の割に、輸入版が安くならないのは、見て見ぬふりである。 ※そういえば、alesisのmicronとquasimidiの309を友人から頂いた。 音楽をやめたそうだ。 少し悲しかったり、物欲が喜んだり。 PR
超域
2008/11/17(Mon) 22:25:21
エコロジーについて。
企業イメージからみる商業主義の道具なのか、 国民のプレッシャーからかわからないが、異常に反乱している。 エコロジーになんかをくっつけた造語なんかを見ると、寒気がする。 ”エコ”という略語は定着しつつあるけれど、”女子会”くらいイラついて仕様がない。 今現在、どこにどれだけいるかわからないけれど、 自然と共存して生きる種族の文明が地球中心の考えでいくと進んでいたことが明確になってきた。 どちらがどうというわけではないけれど、 地球が人を生んだか、まったくの別個体かという話に発展してくる。 要はガイア説をどう捉えるかってことか。 いわゆる温暖化が進み、氷が解け、大陸が沈み、短期間に多数の生命体がある場所に集まる事で、 あらゆる伝染病が広まり、ウィル・スミスが一人でがんばっている状態に成る事が、 地球の思惑だという説。 地球的ウイルス=人 という仮説の基、地球的思考で考えると、 ”人がエコロジー運動を始めた”=”ウイルスが自己防衛にはいった”的感覚。 それが、”マイハシ”、”エコレジバック”とくれば、地球も鼻で笑うしかない。 オカルトな話、人間がどっかの星の回し者として地球に侵略してきたと仮定すると、 人型ウイルスは地球を滅亡させることが目的ということになる。 どうすれば地球が滅亡するか。 とりあえずⅠ核は開発。 コンピューターによって全世界同時多発的に行動を起こす事は可能。 しかしいまだ、ウイルス同士の指示系統はうまくいかず。 各地に分散させた結果、破壊が目的の思考をインプットしたおかげが、 仲間割れ。 それどころか、本来の目的を忘れてしまったものばかり。 各地で核を使用したところで、 地球が滅亡するのだろうか。 きっと人と、その他が減少してしまうだけの話。 ウイルスは意思があるもんだから、 自滅は防ぎたいと思う。 じゃあ、長い事ここで暮らそう。 地球はいずれなくなるだろう。 要は、地球を破滅させる運動を起こしたところで、 人は今現在とまったく同じ行動をとっているのではないかという事。 地球を守るなら、人類が滅亡するのが話が早い。 いまさら共存も地球さんがお断りだろう。 きっと環境破壊で劣悪な環境に成り続けようが、 人類がそこにいる気がしてならない。 超古代文明から、現代があるように。 (アトランティス、ムーの存在は個人的にありという思考の基)
レイジtbhマーリー涼子
2008/11/07(Fri) 00:54:52
人が物事をやり遂げた瞬間を目の当たりにした。
まず目にする事の出来ない光景だ。 初めてなのかもしれないし、 自分にとっては、それくらい稀薄な事だ。 自分自身そんな瞬間を作った事はないし、 近くにいる人間も同じだ。 要はそうゆう生ぬるい所に身を置いて、 もちろん、やることはある。 ヤバいレコード屋をやるために金を稼ぐし、 どちらも漠然としているけれど、 悩んで目指すところではない。 勝手に思ってしまっている事し、気持ちに無理もない。 改めて感じたし、さらに持続させないと意味がない。 今日また大きな気持ちを得たし、 いつも音楽にいろいろな事を教わって来た。 しかし残念ながら、それに値するものは極一部のまた極一部でしかない。 いまでも明確に覚えている、中学2年の時、まだ適当に音楽を買うしかできない、 田舎で雑誌でしかcdの発売を知り得る機会がない頃。 コーネリアスの1stとレイジの1st、あまった金でボブ・マーリーを買った日。 (なぜそれを選んだかと言えば、コーネリアス=オシャレ。レイジはジャケ買い※例の焼身自殺僧侶のジャケ、ボブ・マーリーは名前を知っていた・・くらいの話。金があったのはお正月かなんかだったからだろうか) 中に入っていた翻訳詩、レビューを片っ端から読んでわかった事は、レイジやボブ・マーリーのメッセージ性。 音楽でとても大きな事を訴えている。 それまで、テレビやラジオで聴いた曲といえば、英語がわからないとか、 日本人の場合、愛だの恋だの。小室哲哉だの。(punkなんかも出回ってはいたけれど、そん時は嫌いなヤツが聴いていたから手をださなかった。中学なんてそんなもんだ。※そして兄の部屋から永遠と流れてくるYMOとクラフトワーク。正直、その頃は少しおかしな目で見ていた。) 要はバカばっかり。 別にレイジやボブマーリーを理解していたわけではないけれど、 聴けるものがそれしかない。(あと、広末涼子) 話がおかしくなってきたけれど、 要は、音楽からいろいろ得る事を知ったって事。 高校2年生の頃、インディーズマガジンの付録で聴いたはじめて聴いたTBH。 それから9年、昨日聴いたTBH。 その間で何度か聴いたTBH。 いつも与えてくれる。長い付き合いだ。 ※kuzeっち、誘ってくれてありがとう。多分、オレらは高齢者組だったね。 昔から聴いているヤツは、大概静かにライブをみるから笑。 |