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鈴木幸希
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2025/02/24(Mon) 10:27:45
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oval
2008/08/26(Tue) 21:17:27
 聴覚芸術という言葉をみかけた。
はじめ気がつかなかったがサウンドアート等の事だろうか。

レコ屋でovalの2001年の作品を買った。

久しぶりに耳がこの類いに寄せられている。
(※最近下品なシカゴモノや、ダブモノ、jazzモノばかり聴いていた。)

近頃はこの辺の音源が激安で出回っている。
学生の頃、必死こいて聴いていた音源だ。

聴覚の特性なのか、脳の特性なのか(両方なのだろうが)、
リスナーとしての視聴能力というのが、それぞれにある。

様々な音楽を聴いた経験からくるものなのか、
それとも、もともと持ち合わせているものなのか、
わからないが、きっと”訓練”が必要とされる部分もある。
(※いまだにfunkの聴き方に疑問を感じることがあるように。)

こないだ、”曲を作り始めてから何年が経つ”みたいな話をしていた。
もう7〜8年になるようだ。(完全にオツボネさんである。)

作曲には、当然、その時の聴覚特性があらわれてくる。

ある程度、自分の意思で固めるところはあるが、
エディットはソフトでランダムにまかせたり、コントロールしきれないところを、
視聴レベルまで形にしていく作業をどこまでやるか・・・できまってくる。

数年前の自作したものを聴いたら、わけがわからなかった。(自作だろうか?という疑問さえ湧いた。)

ovalを聴き直して、また違うものが出来そうだ。と思っただけの話。


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meta08
2008/08/24(Sun) 23:31:38
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帰省
2008/08/17(Sun) 21:45:34
 キャンプして、
呑んで、
イベント行って、
温泉行って、
夜遊びして、

お盆が過ぎた。

お盆の意味など考えた事もなかったけれど、
今年はどうしても岩手に帰る意味があった。

近くにいなくてはいけない。それも昔と変わらずある一定の距離をおいて。

彼は何か変化しただろうか。

いかなる言語にもイメージにも犯されることなく、純粋な流れが組まれているであろう、あちらの世界はいかがなものか。

私の中で変化することのない彼の存在は、
ある程度、私の方向性を正してくれるに違いない。

アンチ・オイディプス
2008/08/12(Tue) 23:13:43
 

昼メシを食おうと一人ふらふらしていた時のこと。

いつも通りすがる本屋がヤケに目についた。
別の本屋で済ませる事が多いのと、個人的タイミングに店の位置がしっくりこない為、
入店した時すらない。

ヤケに目についたのなら何かあるに違いないと、
店の入り口を開けると、途端に好きな本屋の匂いが事に気がついた。

別にメルヘンでもなんでもなく、好きな本の匂いというのがあるのだ。
中央線沿いにちょこちょこあるような個人経営の古本屋の匂いである。

しかしその本屋は古本屋ではない。

今日の日まで古本の匂いだと思っていたそれは、どうやら違ったらしい。

店内には、数人はいるが、bgmもなく図書館のような静けさである。
特に目的がなかったので、適当に探っていると、本の棚分けがかなり曖昧なことに気がつく。

デゥルーズ=ガタリの隣に料理本が並んでいるかと思えば、
その隣に、女性器の論文なんかがある。

無意識という現象をある種の捉え方をした場合”睡眠”という事になるが、
もしかしたらその棚は3大欲求コーナーだったのかもしれない。

もしそうならば、店主は変態に違いない。

「それがあったところ、そこに私は到達せねばならない」
デゥルーズ=ガタリの本をみて、フロイトが書いた上記の一文を思い出した。

フロイトが人間の人格構造を、
超自我、自我、エスという3層に分別して精神分析を行っているが、
エスとは、要するに無意識のことである。

上記の”それ”とはエスであるから、エス=無意識ということになる。

無意識があったところ、到達しなければいけないとフロイトは言っている。
要するに”悟り”と変わらない。

到達せねばならないという反面、無意識(エス)に動かされているという見方もある。
武者小路実篤が言っていたヤツである。

「我々はないかによって支配されている」
というヤツだ。

これは意識を作用させているのは、まぎれもなく無意識だということを言っている。

デゥルーズ=ガタリは、アンチ・オイディプスにおいて、
人間の歴史的発展は、無意識(エス)による構造的展開と取り上げているが、

無意識に到達するというのは、
構造的展開の結果を見届けたいというある種の欲求からくるものに違いない。

そんなことを気にとめる人が何人いるのだろうか。

忘れ去られた先にそれがあるのかもしれない。

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