鈴木幸希
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2025/02/09(Sun) 12:02:12
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hp
2011/02/07(Mon) 01:07:28
久々の更新は、元社員の結婚式。 身近な悪友が籍を入れたりと、やはり30手前はラッシュである。 まー、式に呼ばれるだけありがたい事だ。 美男美女の披露宴だけに、何をしても嫌味がない。 そんな中、ふと自分の周りに目を向けると新郎友人席でもないのにガラが悪い。 業界の嵯峨か・・。 ものすごく錬られたであろう披露宴は、あっという間に終わった。 ※アットホームで感動的な、とても良い宴でした。 そのまま新郎に依頼された2次会DJ。 ほんとはこうゆう場のDJはなれていないし、向いていないのだけれども、 断る理由もない。 ここ数年集めていたjazzとsoulの廃盤再発モノを中心に流す。 主張しすぎず、だらだらしすぎず。音楽だけでいえば、自分が一番気持ちよかったはずだ。 djだけかと思っていた2次会は、結局DVD操作やタイムキープも。 会場さんへのサプライズなんかもありつつ、いい気分で酒が回った。 機材の関係上、車でやってきただけれど、 飲○運転=×という事自体を運転初めて数分経つまで、一切忘れており、 気がついた時からは検問に怯えながらもラジオで流れたジャミロクワイが心地よく無事帰宅。 家に帰って東京に遊びに来ていた友人に勧められたアウトレイジを観て、 善と悪な1日。 PR
hen
2011/01/16(Sun) 17:26:14
先週の話。
ようやっと現代美術館でトランスフォーメーションを観る。 結論からいえば、 中沢新一氏、長谷川祐子氏の企画がイカすぎていた。 ”人間という形がぶれはじめ、多様性がうまれつつある”という前提の基、 芸術表現だけではなく、2人の見解からの”変容”をスペース内で表現。 その辺のシュルレアリスムの展示会を観にいくより頭が混乱した。 それぞれの作品事に2人が言いたい事はわかるのだが、テーマが一貫しているようで、 独創性に飛びすぎているし、人間をテーマにしている以上、リアリティを感じてしまう反面、 ある種グロテスクだ。(ゾンビとかそうゆう話ではなく・・・※そうゆう展示もあるが) そんな中、感覚をぶっ飛ばしてくれたのは、高木正勝の映像作品。 10年前にライブを1回観て、昨年仕事でたまたま1回会った時の感覚、 彼は何一つ変わっていない。 壁がないからと近寄ると皮肉たっぷり・・といった感じ。とでもいえばいいだろうか。 今回の映像作品は相変わらずのぶっ飛んだ色彩に、彼なしくない映像とおおかたリンクした音響をつかってきた。 ”こんなの観たことねぇ”という感覚は、久しぶり。 そんなことだけに囲まれていたい。 あー。
koi
2011/01/09(Sun) 03:05:34
”完全に純化されている人達よりヘルシーかもしれない”
ニヤニヤしながら菊池成好のUSBメモリーに収録された映像(※昨年発売された反総体的メモリー)を見ていると、ふと救われた。 ミュージシャンに限った事ではないけれど、 ”その筋”みたいな事である種、単一専門性を身につけてしまっている場合がプロには多い。 音楽でいうとこのジャンルの話が分かりやすいかもしれない。 例えば、アントニオカルロスジョビンだし、それが西野かなみたいなもんでもいい。 ジョニー・ロットンは、あれをやり続けるしかないのであって、それが果たして健全なのかという提示である。 日本でいう中高生が陥りやすく、ニューヨークでいうキッズが陥りやすい、要は”俺にはこれしかない”的な感覚を持つか否かという話。 似たような事に意識を持ち続け、それに対して根を這っていく事に対しての違和感。 それが男女関係でもいい。 「私には彼しかいないの」的な感覚は、一見純粋と捉えられる傾向にあるが、 そうであったとしてもヘルシーではないという考え方。 なんだか結婚できない理由が、ちょっと判った気がした。
nn
2010/12/29(Wed) 23:00:40
2005年1月に始めたブログももうすぐ丸6年。
小学校と同じ。 休みということで、読み返してみると、 興味の矛先が何一つ変化していない。。。。 ”25までにモノにならなかったら実家へ帰るって親との約束 by SDPリリック期”を経て、 (なにを言っているか不明だろうがそのままスルー) ”伝説ロックスター27歳死亡期”を経て、 次の個人的ターニングポイントは”親父が30歳1日手前で結婚した・・・期”である。 いまだ、マイナス思考なのかプラス思考なのか自身でもわからないような心持で毎日を過ごしている。 結論から簡潔に言えば、生きたいとも死にたいとも思わない。 自分への興味は薄れ、周囲への興味が拡大する一方である。 これがどうゆう事かを簡潔に結論づけると、どう生かすかどう殺すかという事になってしまう。 もちろん生かすこともできないし、殺す事もできない。 結局自己愛からくるのだろうけれども、自分が好きな事だけがあればいいし、嫌いなものはなくなればいいという極自己中心的な話。 根本はファシスト的発想なのだろうけれど、肌は黄色・・みたいな。 毎日思考が途絶える事がないような仕事をしているけれども、 その隙間に、本を読んで音楽を聴いてというだけで6年。 相変わらず増えたのはレコードと本と機材だけ。 やりようによっては、もっと良くなっていたかもしれない。 そもそも”もっと良く”とは何を指すのかといえば、西海岸ヒップホップ的な”金・女”のことから、全知全能へ向けての信仰心だったりと様々。 例えば、権力と金がある自分を想像してみる。経験がない分、漫画的な安易なやつ・・・。 東京ドーム何個分、、、みたいな家でお手伝いさんがいて、定期的にパーティ的なノリ。 もちろん悪くはないが、すぐに飽きて海外ドラマのわがまま金持ち息子になってしまうくらいの話だ。 例えば、仏教でいう”悟り”に向かう方向性もあるが、どうも心理が追いつかない。 宗教や信仰は斜め読みするくらいが、自分にはお似合いだし、楽しさすら感じられる。 例えば、3大欲求を満たしまくる。 これにいたってはこの言葉自体に憎悪すら感じる。寝て食ってセックスして。 だれでもできることに欲求という名前がついたのはいつの事か。 人間が生きていくには欠かせないとかいう話になったりもするけれども、 いい枕で寝て、いい飯食って、いい女(男)とセックスして、、、 もちろんそれに越した事はないけれども、そこを追求して人生を終える心理も持ち合わせていない。 じゃあ、あんた何がしたいんだということになってくるが、わりと明確なことがある。 くだらな過ぎて?マークが浮かぶかもしれないが、”発掘する”ことである。 いまこれを書いていてなんてつまらない人間なのだろうとおもうのだけれど、 レコードを買うのも、本を読むのも、美術館にいくのも発掘したいだけの話。 キュレーターだとかそんないいもんじゃない。 ”すでにそこにあるもの”からの発見=発掘にちかいイメージ。 自分の心持とするのであれば”発掘”だとダサいから”DIG”に置きかえよう。 いい音楽を探しだして聴いた時の興奮や、有名な詩人が書いた言葉を読んだ時に圧倒される気持ち、 良く分かりもしない形式で描かれた絵を観た時に感じる覚醒。 それを少しばかり自身のフィルターを通して形にしてみる楽しみ。 それがひどい出来だった時の不甲斐なさ。 これが自分への興味がうすれ、他への興味が拡大する構図である。 ほんとはバスキアの映画について書きたかったのだが、 彼も27歳で死んだ。 29の俺が掘る対象ではない。 |