”一つでは多すぎる”
誰かが書いていた事で、それを読んだ時、同感した言葉。
一つの事に集中すると、効率的ではないという感覚。
ここでいう”一つの事”に誤解が生じないように書くと、
例えば刀職人は刀をつくることに集中しきっている。これが悪いわけがない。
刀を作るという事は製作全体を見据えなければきっと成り立たない。
決して一つではない。
身近なとこでもdjだっても同様。
全体を見通してやらないと話にならない。繋がればいいってもんでもない。
一つでは多すぎるというのは、料理人でいう鍋に火をかける事のようなもんだ。
鍋に火をかけてそればかりを見ていたのでは、時間ばかりが長くすぎてしまう。
監視という一見重要な役割をしているように錯覚するが、
脳はそうゆうわけにはいかない。
鍋を見つめているだけ無駄なわけだ。
”寝ずに考えた”などという発言があるけれど、
あんなもん寝たほうがいい。
よく深夜思考したことを早朝起きて思いなおすと、まるで違う答えが出たりする。
これはあくまでも無意識に委ねた結果であって、長い意識の産物を作る場合、都合が悪かったりする。
その辺の仕事や相談事なら寝てしまえば、次の朝にはなにか変化が見られて、それが結果になったりする。
もちろん意識を保ち続ける事で成りたってきた常人には到底達することのできないモノを思考(制作)する人もいて、それは芸術だったり音楽だったりもする。(私が好んでいるのは多分そうゆうものだし)
鍋を見つめているだけ無駄な出来事は人の心を動かすのかも知れない。
PR