某店で数分mpc2500を触らせてもらう。
冬に友人からもらったvst plug inのおかげで、ソフトに依存しきった制作が続いている。
こうなってくるとどこまで依存するかということをやってみたくなる。
普段から鍵盤を打つ手は自身の記憶に依存しているかのように、同じようなルーティンを組みがちになり、
飽き飽きしている。
そこに例のソフトを使用しランダマイズしながら、かけ録りすると、創意していることとはまったく離れた場所に辿り着く。
自分個人の創意を作曲という形で表すには技術がまったくないし、技術を得たところでなにかに類似してしまうだけの話。(団体の場合は技術が必要なのだけれども・・)
創意しないという感覚は、かなりの楽に繋がる。
単純に楽しめる時間が長い。
ハイハットをパネルにアサインし、永遠とエディットし、納得のいく音をつくる行為も同様に楽しいのだけれど、
それがキック、スネア、タムと続くと飽きっぽい性格の自分としては時間とともに退屈になる。
エディットをソフトに・・・。
一つのキックに数時間かける人も多い。一粒一粒種を植え付けるように。
これがどうも性に合わないようなのだ。
多数の種をバサバサっと蒔いて、雑草とともに何個かの種が発芽する。
どうやらそんな庭らしい。
だからといってそうゆう音楽が好きなわけでもない。
大切に植えた一粒だけでよかったりもする。
ただそれをしようとしないだけで。
某店で触れたmpc2500はランダマイズ前の素材(種)をつくるには持って来いのようだ。
熱心に店員が使用方法を教えてくれたことが幸いして、なんとなく店先で使えるようになった。
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