時間があったので、昨年の10月からmotで開催していたspace for your futureを観に行く。
この展示会自体、上の画像中央の沢尻エリカを使用した作品に話題が集中していた。
100erikas←リンクはsonyの広告用の為、携帯を所持していますが、基本衣装はおなじ。
作品をつくったタナカノリユキはアーティストというよりは、クリエーターというのがしっくりくる。
あまり好きなタイプではない(極個人的所感でしかないのだけれど)
そんな話はどうでもいい。
今回のsfyfにはサブタイトルがついていた。
”アートとデザインの遺伝子を組み替える”
というもの。
この言葉のどこかに違和感を感じるのはなぜだろう。
これもどうでもいいことなのだけれど、若干悶々とした気持ちで展示を観る。
今回、かなりの作品というのと、規模の大きな作品が多い為、motの3fからb1まで使用したものになっていた。
作品のほとんどは”日常的”なものを感じた。
素材だったり、形式だったり、そもそも発想だったり。
今回motがやりたかったのは、”日常がこうであってもいいじゃない”ということだと勝手に理解した。
今チラシを見返したら、”新たな未来への選択肢を提案します”と書いてある。
そうゆうこった。
ろくな事が書けないのは展示を見終えた感想が”疲れた”の一言だからだ。
美術館の作為通り、作品の多くは日常の変形、あるいは更新のようなものが多かった。
(全くそぐわないものもあったが)
価値観の再構築というのは、一見重要に思えるが、特定の出来事に関しては下世話だとも感じた。
再構築というのだから、マスターがどこかに潜在している。
マスターに対する感覚はなにかしらで流通されているから、再構築に対する違和感を感じざる負えない、
新たな価値観というのは、そうゆうことで生まれるとされているが、悪ふざけのようにしか思えない。
新たな価値観にマスターの存在は不愉快なのかもしれない。
音楽がそうであるのと同じで。
今回の展示会はクロスオーバーだのミクスチャーだののそれと同様に、
なにか引っかかりを拭えない。
自己感覚だけでシンプルにしたいという発想からくる、これもまた極個人的意見でしかないのだけれども・・。
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