年末にメインのトラック制作用機材(といってもpc、コントローラー、エフェクターだけ)を実家に持っていっていたので、整理しないといけなかった。
去年、いつでも持ち出しできるようにとpcのみでの作業に切り替えたのだけれど、
なんだかそれにも飽きてしまった。
年末にaxion君と機材交換をして手にはいったシンセをグリグリやっているのがヤケに楽しい。(鍵盤がひけるわけではないのでeditしているにすぎないのだけれど)
で
セットアップ若干変更。
なんとなくタンテの横に置いてあり持て余してる感のあったフェーダーボードをさらにコントローラーとしてremote25の横に追加してやった。
久しぶりにpc~機材間のセットアップをすると、機材屋にいた頃の記憶が不意によみがえり微妙な気持ちに。
現在進行形のyoutubeからのみ音源を引っ張り出して構成していく、極々趣味的トラックを各フェーダーにアサインしてやると手数が増えた。
そんな話はどうでもよくて、
実はマウスを買い替えた。
マウスはコンピューターシステム開発以後に考案されたものということに疑問を感じる人はいない。
マウスの開発者を調べてみると、ダグラス・エルゲンバートという人にいきついた。(有名な話らしい)
以前なにかの本で、マウスを考えた人間は”ヒッピーあがりのイカレタヤツだ”と書いていた人がいた。
コンピューター開発もヒッピーあがりなら、周辺デバイスまでヒッピーあがりだ。
しかし、エルゲンバートという人間を、なにかの本に書いてあったヒッピーあがりが同一人物とは思えない文面も見つかった。
エルゲンバートが目指したポインティングデバイスは”キーボードから手を離さない”形が理想であった。
どちらかといえば、IBM(レノボっていったほうがいいのかな?)製pcのキーボードの中央に付いている”赤いポッチ”が理想に近い形だろう。
果してヒッピーあがりが”キーボードから手を離さない”形を理想とする思考を持つだろうか。
私がヒッピーあがりならば、パーソナルな何か(いわゆるpc(ここでは「macはpcじゃない!」とかいう発言は無視して・・)とコンタクトをとる為にキーボードで文字を打ち込むという現在進行形の動作すら認めない。
言葉があるのだから、会話すれば済む話だし、マウスなんて手で押せば十分だ。
もっといえば、言葉や身体を使用しない状態が理想である。
脳で考えた事が、パーソナル処理されればいい。
ただ、一見理想形とも思える上記のような考えでは、現在のようにpcが普及していなかったのではないかとも思う。
そもそも考えを持ってpcに接触できる人など少数に過ぎない。
多くの利用者はpc内のあらゆる項目を選択して使用しているだけに過ぎない。
ある程度、用意されているから使用するだけの話だ。
一つのソフトやサイトを見ても選択肢しかない。
私自身、この後”投稿/記事の保存”というボタン(オブジェクト)をクリックしないとこの文章をupすることができない。
この文章を書いていて、日々遭遇する納得のいかない出来事を思い出した。
ネットでなにか買い物をしたい時、ながったらしい承諾文が出来きて下のほうに”同意する”と”同意しない””戻る”のボタン3つの選択肢が立ちふさがるが、購入するには”同意する”ボタンをクリックしなければ買い物はできない。
以前、5分ほど費やし、すべての文章を読み理解しようと試みたことがあったが、
素直に”同意する”ボタンをクリックできる状況ではなかった。
”同意し難い・・いや理解ができないが商品はほしい”ボタンがあればそれを押せばよかった。
しかし残念ながらそんなボタンはない。
とはいえ商品がほしいのだから”同意しない”ボタンを押すわけにもいかない。
”同意する”しかないのだ。
私が異常に長い承諾文をつくり、その中に”商品は配送されない可能性があります”とでも書いておけば、
商品が届かないと苦情が殺到した際に、法律はどう動くのだろうか。 outだろうけど
それがoutならば(法的にある程度守られるならば)、いよいよあのいまいましい承諾文も必要ないのではないか。
”あなたは18歳以上ですか”ボタンと同じくらい無意味だ。
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