旅の疲れか、強風のせいか、熱が出て体が思うように動かず結局休みにした。
眠くはないが、動く気もしない長い一日。
買ったばかりの本を読んでも、続かない。
音楽を聴いてもどれもピンと来ない。
いわゆるなにも受け付けない日である。
なにもできない日というのは、あっていいとも思うが、不安を煽るものだ。
一日という概念が定着し、その中でなにかしら形や行動が伴わないとどうにも落ち着かない。
どっか温かい島でのんびりなんてのは、向いていない、根っからの苦労人タイプなのだろうと思う。
夕方、近所に同性する友人から食事のお誘いがきた。
なにも食っていなかったから確かに腹は減っていた+さすがに横になりすぎた反省を踏まえて友人宅へ行く事にした。
なぜか友人は病人のような姿でお出迎え。
聞くと、今日は休みだったので午前中自作スピーカーに塗装を施し、
結果ぼんやりしていた音が固くなった事がうれしくてバイクで出かけようとすると、
前タイヤにロックがかかり転倒。
低速の為、各所の擦り傷で済み今にいたるらしい。
お大事に。
友人が同棲する彼女は異国からやってきた人。
6月から2人でイギリスに行くらしい。
久しぶりに顔を合わせた彼女はなんだか日本人らしくなっていて、
若干環境というものの恐ろしさを感じた。
場所が人を帰るって説は、一般的に浸透しているけれど、
芯が通っていればどこにいたって同じだと教えてくれた人がいる。
自分の場合、常に考えが変化しているように思うし、それでもいいとは思う。
ただ、無意識に考慮せずになにかを口にすることや考える事もある。
それがきっと芯というやつだ。
無意識なもんだから何を考えているか自分でも分からない。
それを固めようと意識すると、なにか別のものになっている気がしてならないし、無理が生じてくる。
意識が無意識になる瞬間はきっとあって、それは無意識が選択しているようだ。
無意識はなにを選択するか、
自分には選択肢の中の意識をできる限り高度なものにしていくことしかできないのかもしれない。
それを無意識が選ぶかはわからないけれど、確率ってものがあるならそれにすがるだけの話。
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