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鈴木幸希
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2026/03/29(Sun) 21:30:55
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内在系
2008/07/18(Fri) 01:48:13
久しぶりに話す友人との電話を切り、終電に乗り込むと、
目の前にいるおっさんが”内在系に潜む精神哲学”みたいな本を読んでいるのがわかった。
※おっさんが顔に本を近づける形で読むもんだから嫌でも確認できた。

丁度、自分のカバンに精神哲学系の文庫本がはいっていたもんだから、
少し、気にかかり自分も読むことにした。

・・・・・数分後。

「その本はまちがってるよ!!」

と、
おっさんと自分の後方から若者の声が聞こえてきた。

おっさんと自分(と派手なおねーちゃん)は、その声をキッカケにほぼ同時に後ろを振り返った。

幸いな事に、若者(大学生風※後に拓殖大学卒業生と判明)はおっさんに話かけたようだ。

若者はおっさんに向かって続ける。
「俺もその本読んだよ!!その本は間違ってるよ!!」

おっさんは、一時シカトを決め込んだが、
若者のあまりのアクションに、
「なんだお前は!」と切り返す。(※正しい反論である。)

一触即発かと思われたが、この後に続く、おっさんの一言に周囲は意表をつかれた。

「君は内在系の何を知っているんだ!!」

この状況で、すでに本の内容について触れてしまっている。

これが、その辺のおっさんなら、シカトして場所を変えるか、もみ合いになるかどちらかである。

面倒な出来事に進んで首を突っ込むあたり、”和製のウィリアム・バロウズか”と期待してしまった。

その後、若者の自己紹介(学歴自慢)から始まり、
話の方向性がブレて、宇宙力学?かなんかの話になる。

「あれは球体をものすごい速度で、衝突させることでしか生み出せないんだ!」
「それは今の国家予算では不可能だろう」
「ブラックホール理論を応用すれば、可能なんだ!あといくつかの計算式が完成すれば理論上は完成する!」
「それは理論でしかない!我々の意識が統一されているという自己認識こそが目的なんだ!」

などなど、電車内対談は続く。

2人の話に耳を傾けていると、
気がついたときには、
対談者のおっさんと若者、傍聴者の私の3人は、周囲に距離を置かれている。

車内における距離感は、まるで私がこの対談の司会でもしているかのような雰囲気である。
”あなた方3人は迷惑ですよ”という感じである。

”違う!違うぞ!対談しているのはこの2人だ!私は部外者だ!”とプライマルスクリームするも、もう遅い。
立派な傍聴者である。

さらには、降りる駅も一緒、出口も一緒。方向も一緒となれば、自分自身、何かの縁かと錯覚してしまうほどだ。

おっさんが何者かは最後までわからなかったけれど、
面倒ごとに首を突っ込み付き合いきったことで、帰りの車内がエキサイトした事は確かである。



夏になるとTシャツが目立つようになる。
Tシャツには、なんらかのメッセージが書いていたりする。

自分は、街にでると、目に付くものを読む習性があり、
一人でいるとこらえるのだけれど、人といるとつい口に出てしまう。
※今日も背中に"POWER"と書いたTシャツを着ているおっさんがいて、読んでやりたくなった。

一人でいるときにメッセージを声に発するようになったら、迷惑なヤツでなのだろうなと、認識しただけの話。
※たまに一人ニヤついてしまうが。
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山中湖
2008/07/14(Mon) 23:49:40
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たまには奇麗な空気でも吸わねばと、週末、山中湖で富士を拝む。

いつものメンツ(男だらけである・・)でこうゆう小旅行も、もう数十回はしているんじゃないか。

それぞれ汚い男になっていく様が奇麗な空気の場所では、顕著に見てとれる。
都心では、わかりづらいのだ。

少しは、何かを落とせたのだろうか。
菊池さん
2008/07/14(Mon) 23:36:21
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友人が持っていたbounceからチラリと見えたこの広告。

あー、かっこいい。
墨入れ
2008/07/08(Tue) 01:47:42

周期的に、自身が自立できたのだろうかと思い起こす事があり、
そんなキッカケの一つが墨入れである。

18歳の頃に知りあった彫師さんに偶然会う機会があった。
奥さんがピアッシングを専門としていて、その旦那なのだけれど、
お店は隣接しているから、どちらの事も知っていたわけである。

その日は西麻布のイベントに客としていた来ていた。

ついついこちらから声をかけると、なんと向こうも覚えている。
以前、ちょこちょこいろんな箇所に穴をあけていた時の写真が店のカタログにいまだに入っているという。
※そんなんだから向こうも覚えているのだ。

「変わんないねー、写真より少し太ったかな笑」などと言われ、微妙なショックを受けるも、
確かに当時よりは太った。(※最近、また減り始めて喜んでいたのに・・。)

仕事の話を少し話をした後に、
「そろそろ入れたら?」と切り出される。

当時、「自立したら、お願いします。」とこちらが言ったことを覚えていたらしい。

自立というのも、よく分からない言葉である。

これが”自立”ではなく”自律”ならば、話が違っていて、発達しきったことは自分でもわかる。
(自律神経のコントロールは出来ているはずだ。)

自立という言葉を聞くと、親や身近な友人の顔が浮かぶ。

周囲には、自立している人間は何人もいるように思う。
皆、なんだかんだうまく一人でやっている。

自分のメシは自分で稼いで食っているけれど、
それが自立かと言われれば、なにか腑に落ちないのは、
背後に大きな支えを感じてのことだ。

ここ数年、友人のご両親が亡くなったり、友人本人が亡くなったりと考え深い出来事が多かったように思うが、
残った友人や奥さんは、
大きく自立しているのを感じる。

早々に子供できて結婚したろくでもなかったヤツも、なにか大きくなった。

自分は気持ちの中のどっかで、一人でフラフラしていたいという根底があるもんだから、
誰かを食わしていこうとか、それこそ子孫を残そうだとかは、考えれない。

自立とは、そうゆうことではないと思うが、反面、直結していいるようにも思う。
きっと”キッカケ”なのだと思う。

自立はいつでもできるのかも知れないが、タイミングもある事は確かで、
自身がそのタイミングにいるのかと聞かれれば、そうだとは言い切れない。

18の頃に思った、”自立したら墨入れ”というバカげた感覚も、捨てがたい感覚なのかもしれない。

焦る事はないが、なんの迷いもなく、墨入れをする日が近いうちに訪れることは、
自身にとって、+になるに違いない。

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