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鈴木幸希
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墨入れ
2008/07/08(Tue) 01:47:42

周期的に、自身が自立できたのだろうかと思い起こす事があり、
そんなキッカケの一つが墨入れである。

18歳の頃に知りあった彫師さんに偶然会う機会があった。
奥さんがピアッシングを専門としていて、その旦那なのだけれど、
お店は隣接しているから、どちらの事も知っていたわけである。

その日は西麻布のイベントに客としていた来ていた。

ついついこちらから声をかけると、なんと向こうも覚えている。
以前、ちょこちょこいろんな箇所に穴をあけていた時の写真が店のカタログにいまだに入っているという。
※そんなんだから向こうも覚えているのだ。

「変わんないねー、写真より少し太ったかな笑」などと言われ、微妙なショックを受けるも、
確かに当時よりは太った。(※最近、また減り始めて喜んでいたのに・・。)

仕事の話を少し話をした後に、
「そろそろ入れたら?」と切り出される。

当時、「自立したら、お願いします。」とこちらが言ったことを覚えていたらしい。

自立というのも、よく分からない言葉である。

これが”自立”ではなく”自律”ならば、話が違っていて、発達しきったことは自分でもわかる。
(自律神経のコントロールは出来ているはずだ。)

自立という言葉を聞くと、親や身近な友人の顔が浮かぶ。

周囲には、自立している人間は何人もいるように思う。
皆、なんだかんだうまく一人でやっている。

自分のメシは自分で稼いで食っているけれど、
それが自立かと言われれば、なにか腑に落ちないのは、
背後に大きな支えを感じてのことだ。

ここ数年、友人のご両親が亡くなったり、友人本人が亡くなったりと考え深い出来事が多かったように思うが、
残った友人や奥さんは、
大きく自立しているのを感じる。

早々に子供できて結婚したろくでもなかったヤツも、なにか大きくなった。

自分は気持ちの中のどっかで、一人でフラフラしていたいという根底があるもんだから、
誰かを食わしていこうとか、それこそ子孫を残そうだとかは、考えれない。

自立とは、そうゆうことではないと思うが、反面、直結していいるようにも思う。
きっと”キッカケ”なのだと思う。

自立はいつでもできるのかも知れないが、タイミングもある事は確かで、
自身がそのタイミングにいるのかと聞かれれば、そうだとは言い切れない。

18の頃に思った、”自立したら墨入れ”というバカげた感覚も、捨てがたい感覚なのかもしれない。

焦る事はないが、なんの迷いもなく、墨入れをする日が近いうちに訪れることは、
自身にとって、+になるに違いない。

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