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鈴木幸希
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2025/02/13(Thu) 01:20:32
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BLACKBOX
2009/12/13(Sun) 18:00:05
black jazz box

年末にこの発売はうれしいけれど、唐突すぎてまだ買えていない・・・。
どうやらTRIBEも再発されるようである。

CDでの再発は以前からされていたが、これBOXは手っ取りばやい。

※BUILD AN ARKは新作もかなり良かった!

BLACKJAZZを聞き始めたのは、
とあるシャイな大阪出身の先人宅に行ったのがキッカケ。

ストラタとTRIBEの存在も一緒に教えてもらったのが最初。
中古レコ屋ではオリジナルがなかなか手に入らず再発をたまーに買うというくらいの話。
レーベル買いというヤツである。

ただ、そこまでどっぷり浸かっているわけでもないのは、きっと背景を良く知らないからだろう。

ということで、公民権運動あたりに遡ってみる事にした。

「ブラックパワー」なんて単語にも集約されるとおり、
奴隷制度や数々の事件から、黒人が解放を求め、それにまた上乗せするように事件が起きた時。
※いまなお継続されていることだが・・。

ここでキング牧師とマルコムXの話を出すと大きくそれてしまう。
彼らが暗殺された数年後にBLACKJAZZレーベルは旗揚げされている。

当時の時代背景の中で、黒人によるJAZZミュージックをコンセプトとするレーベルとはどんな立ち位置だったのかはわからないが、平等へと動き出した社会は表向きであるという雰囲気が感じられる。

その裏でヒッピー文化が愛と平和を歌っているんだから皮肉なもんである。

そんな社会的背景と、当時のJAZZは強い関連性があると良く語られているが、
一概にそうとも言えないのが、晩年のコルトレーンの音楽性や発言である。

「できるだけ神に近づきたい」

それ以降は、
ファラオが宇宙と接触を試みたり、サンラーが宇宙人だったりと、大変な事になっているシーンでもある。。。

こうなるとストイックに考えていく事が馬鹿らしくもなり
音楽性だけを受け止めることがピュアに思えてくるが、無視しておくのはもったいないような気もする。

 
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非啓発
2009/12/10(Thu) 00:24:20

”できる”知り合いの家に行く機会があった。

なにもないとは聞いていたけれど、
PC、テレビ、自己啓発本しかなかった。 自宅での居場所はデスクチェアーらしい。

きっと、このシンプルさは陳列された自己啓発本からくるものなのだろうと勝手に想像し、
”できる”と思っていた人がそれによるものだった事になんともいえなくなる。

「こんなんばっか読むんですね」と余計なお世話な言葉を口にすると、
笑顔で「なにもない人間だから」と言った。

もはやその笑顔すら自己啓発なのではないかと思いながらも軽く相槌を打つ。

初めて人の家に行くと、CD棚と本棚を見てしまうが、ここにはCD棚はなかった。
聞くと、たまにダウンロードする程度だという。

もはや普通に暮らす分にはCD棚なんてものは要らないという事にいまさら気がついた。
知り合いは不幸にも趣味人が大数を占めるため、部屋になにかしら変なものがあることが多い。。。
皆、家宅捜査でもされたら、なにかしらまずいものが出てくるんじゃないかという雰囲気だし、
何かの間違いでアンアンの読者が来たら、後日ブーブー陰口を叩く感じの駄目な大人の部屋である。

自己啓発本の部屋を出る頃には、少し距離を置いていることに気がついた。
彼が仕事人間である事は以前からわかっていたが、業態の違いと効率の悪さからなんともいえないが、自身のほうが仕事に費やしている時間が長いにも関わらず、仕事人間には決してなれる気がしない。
※嫌いというわけではないから厄介だ。

自己啓発本は何冊か手にした事はあるが、まず読破不可能である。
原因は、おせっかいと占いのようにしか捕らえられないからという事と、
目標とする着地点に魅力を感じないからだろうか。

※一時あった自己GOOGLE化などという提唱には、うんざりきた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

曲でもつくるか。

 

アセンション
2009/12/01(Tue) 19:04:35
人に埋もれず、マヤ文明ブームに乗っかっている。

先日、古本屋で”ムー”をついつい立ち読みしたことから始まったのだけれども、
中南米のジャングルにピラミッドだけ残し、突如消えてしまった文明をいうだけでも興味が沸いてしまう。

その中でも結局気にかかるのは2012年12月22日の話。

簡単に書くと、
古代アステカの人々の間で伝承されていた、『5つの大陽(世界)伝説』からなる、5つの世界。
5つ目の世界が現代。

マヤ暦と現代暦を重ね合わせると、2012年12月22日がそれにあたる。

それが何を意味するかといえば、公開中の映画のような天変地異的な事が創造されたりしてりるが、
少し検索しただけでも、さまざまな諸説がある。

・巨大隕石落下
・3日3晩の暗闇によるパニック
・温暖化⇒氷河期
・ポールシフト
・ライトボディー化現象
・地球テレポーテーション
・人間霊性試験
・意識の次元上昇
・古代人復活(精霊解放)
・宇宙人戦争
・第3次世界大戦

上記以外にも、非科学的なものを中心にさまざまな諸説があるに違いない。

”人間霊性試験”などは、極端な例で、
あるレベルに達していない人間はアセンションできないというものである。
※アセンションとは、現代の3次元世界から、より高次元世界へと進化することと定義されている。
極宗教的な考え方だが、意識向上の認知拡大促進とでもいったところだろうか。

似たようなので”意識の次元上昇”というのがある。
詳しくは、書物を読まないことにはわからないけれど、
要するに物質全体の意識レベルが急に変容し、あるレベル以下の意識は消滅?してしまうというような事。
意識のリセットとでもいえばいいだろうか。

ここでいう意識レベルは、医学分野の話ではなくて、心の話。
一時流行っていたスピリチュアルの話だ。

では、自身の意識レベルはどのくらいなのか、、、、、という話になるが、
1~1000までと数値化している団体もあるようだ。
人間に限った事ではなく、物質や場所すべてに意識レベルがあるとしている。

物質に意識があることはいうまでもないが、
場所といえば、数値が高い場所がパワースポットとされる場所になる。

人もパワースポットにいけば影響を受けることが出来るし、食ひとつをとっても数値は上がり下がりする。
東京にいて、まともなものを食っていない私の意識レベルは最低ラインという話だ。

低い意識レベルに囲まれると、互いに悪影響しか及ぼさない事ももっともな話で、
人、物、場所すべてにおいて注意をはらったとすると、やはり僧になったような姿が思い浮かぶ。

こうなるとアセンションを理由付けにした近代社会批判の成れの果てか。

意識の拡大を図る場合、どうしても原始的要素が何かしら絡んでくる場合が多い。

こうなるとアセンション後の世界というのは、進化というよりはリセットという形に近い。
eleg
2009/11/24(Tue) 19:55:32
先週、エレグラ2009に行った。

例によって、cobra、axionの2人と一緒である。
※メタモ、taico×2に続き、fesはこの面子といった感じ。※当初はもう一人いたが・・・。

個人的目当ては、フライングロータス、ハドソン・モホーク、ONO、BATTLESといった感じ。

会場の幕張へ向かう前に渋谷で焼肉を喰らい、
幕張でも2件目に入り、開演しているにも関わらず、のんびりと呑む。

後10歳若ければ、開演前に走っていったに違いない。歳というのはこうゆうものか・・・。

腹も膨れたところで会場に入ると、
劣悪の音響の中、ヨーグルトが回している。

謎のキャスティングは謎のままに終了。


その後、目当てのハドソン・モホークを見ると、
とりあえず、デブである。プロフィールの写真の2倍はある。

デブのロービートはかなりいい感じである。
ライブ感は一切なく、自名のサンプルと適当な音色を原音に足しているだけ。
残念ではあったけれど、事情はなんとなくわかるので、なんともいえない。

その後、”!!!”の出番となった途端に、後方から人が詰め掛けてくる。

ファンが殺気だっているのである。久しぶりの感じである。

ダイブ、モッシュ、レッキンなんて数年していない。
(※他にも、”空中ブランコ”、”立花兄弟”、”ダイブ落とし”なんて技?があった・・・。)

とはいえ、あまりの混雑に嫌気がさし、別フロアへ移動。
※これも歳のせい。

タナカフミヤは、特別感想なし。男前なだけである。

その後のclarkはよかった。
噂どおり、クリスクラークから名前を変えてからは、かなりぶっ飛んでいる。
ダーティな感じだけが元のままで、後はぶっちぎっていた。
clarkになにがあったのだろうか。

clark途中でbattlesへ移動する予定だったが、
あまりの良さに結局最後まで見る。

battlesへ移動すると、ホールから人が溢れている。
battlesは昔観ていたが、ライブの記憶がよかったかといわれれば、そうでもない。
ただ、ステージも客も異様な緊張感があった。(バスドラを鳴らすと静寂する感じ)

ただ、今回は違う。ステージはダラケタリハーサルのような音ばかりが流れ、
なぜかその音に対して客が煽られている。これだったら何でもいいという具合だ。

終始イラつきながら観て、終わることにはbattlesが嫌いになっていた。断言するとクソバンドである。

次は、ONOちゃん。
正直、リキッドルームで鳴った音よりは悪かったが、あれは完全にシステムのせいである。
※ヨーグルトの時に、ONOちゃんは客席センターで音を聴いていた。あの時、何を聴いていたんだろう。。。

とはいえ、リキッドよりも近距離でみたONOちゃんのライブは、かなりいい感じだった。
集中している顔つきが見て取れた。
※客のレスポンスは最悪だったが。(今回全体的に言えたことだ)

あんなにライブらしい事をシーケンスベースでやれる人もそうはいない。

続いて、クリス・カニンガム。
好きかといわれれば嫌いな映像である。ただただヤバイ。
音質の鋭さに度肝を抜かれたが、映像が手抜きで飽きてしまう。
視覚効果の弱点。

終盤、疲れきった耳と体でフライングロータス。
音楽性からしてシリアスなスタイルかと思えば、常に白い歯むき出しでアガリまくっている。
※シラフか否かは不明。

音源聴いているよりは、よっぽどいいライブだったが、
異様に音質が違っていて新曲と勘違いする楽曲が多数。
飽き性らしいので、データを差し替えたのかもしれない。

休憩は一服程度でスケジュールを追っていたので、相当疲れていたが、
ロータスの音は、心地よくも悪くもあった。見てよかった事には間違いない。

トリはLFO。
これまた予想に反してブチ上げている。ついていけずに後方で立ち見。
時代に沿わない音を連続させていたが、とても新鮮であった。

LFOには最後まで付き合わず、退場。

あまり酒が入らなかったのと気温が低かった事で、朝方はたいした眠気もなく。

今回場所が幕張だったが、fesはやはり遠方が好ましい。
smashの社長が言ってた言葉だ。

やはり、わざわざ山の中で音楽を聴く意味は、確かにあるようだ。

次回



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