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鈴木幸希
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trak
2009/11/14(Sat) 01:49:14
数年間が踏ん切りがつかないでいた、djシステムをデジタルに乗り換える事にした。

seratoかtraktorか悩んだ末、
mix中のスクラッチを想定して4デッキ対応のtrackorにzero4をsetして購入。
※使用中のdjm-909は、愛称がいいので3chに噛ませる形でスクラッチ用で活用。

いままでデジタルに乗り換えなかったのは、出始めのdjソフトのトラウマと、
単にアナログファンという極個人的な理由でしかなかった。

seratoがvinal操作に対応した頃から、
アナログ派のdj陣が乗り換えをはじめ、あっという間に浸透し、
今では、レコードを現場に持ってくるほうが珍しいくらいになった。

レコード屋がつぶれたり、ミュージシャンがvinalを切らなくなったのも当然の話だ。

しかし10年もレコード触っているからだろうか、
どうも乗り換える気がおきなかった。
それも、ほぼメリットしかない事を知っての上である。

そんな重い背中を押したのは、今年の夏の悪友の家で実物に触れた出来事が大きい。
スクラッチの精度にまったく問題なかったのと、ループ機能の即効性が、まるでcdj-1000に初めて触れた時のような衝撃だった。

その瞬間からやけに気になりはじめ、意識するようになった。
※もはやこんなモノにしか恋できないのである・・・。

暇があればネットで調べたり、店で触れたりとしているうちに、
後はタイミングだけの話になっていたのだが、
そこに追い討ちをかけたのは、適当なフリーペーパーで、どうしようもないやつが発言していた一言。

「僕はレコードを買った時がないんですよ。djはじめた時から、曲はすべてダウンロードです。」

もう少し自分の気性が荒かったら、ページを破って燃やしていただろう。

実はこんなことは、以前もあった。

それこそcdjが普及し、針飛びの恐れから開放されたとき、現場にcdしか持ってこないdjが増え、
そんな現場に立ち会うと嫌気がさした。

といっても自身はcdj-1000の発売と同時くらいに手を出していた。

しかし、現場にcdは一枚も持っていった事がない。いくらcdでかけたい曲があっても、
cdを使うくらいならかけたくなかった。

なぜ、cdを拒絶したかといえば、
単にレコード彫ってないヤツと一緒になるのが嫌だっただけの話。
レンタルcdをコピーしてるような感じに疑問を感じていたのである。



それに追い討ちをかけるように、今は完全ダウンロード。

デジタル移行するとはいえ、レコード屋に行く習慣がなくなる事がない限り、
ダウンロードには、まだ縁がなさそうである。

音がデータでしか所有できないのは、どうもイメージができない。
パッケージありきの話。

溝に触れないなんて不憫でしかない。
溝が磨り減って消耗し、音質が変わる。

悪いことだろうか?一概にそうとも言えないはずである。


djはレコードから始まった。
それを無視して、レコードにも触れたことがないdjがこれから多くなる。

そんなdjばかりに好き勝手やらせるわけにはいかない。

レコードの特性を知ったうえでのmixをデジタルで表現し、差別化を図るべく、
楽してるだけのmixとは一線を画すmixをデジタル環境でつくる事が最大の目的なのかも知れない。

利便性に飲まれるとどうなるかは、ロック文化が教えてくれた。
単純化すれば、大枠はだれでもできる。そっから先の話だ。

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贔屓
2009/11/08(Sun) 01:31:05
現代美術館で友人と観たレベッカ・ホルン展は予想以上に、退屈だったことは間違いなく、
そんな時は、常設展を観て気を取り直す。
※ウォーホル作品を観て金を払った事実を消化するわけだ。

美術館へたまに行くが、気持ちを満たすことは滅多にない。
それでも暇さえあれば企画展や展覧会を眺めに行く。

なんらかの関連本を斜め読みし、適当な文脈くらいは大雑把に知っている気でいるが、
歴史ではなく、思想の部分が記憶に大きく残る。

美術史に限らず、歴史的なものは個人(自身)が知った時点からスタートする場合がほとんどだ。
100年前だろうが、さっき知った事は、自身の中の現在なのであることに違いない。

ある一定期間、ある一定の枠の中で持続している物事に対する、現在進行形的動作は陳腐に見えてしまうことが、そのおおよそは上記からくる時系列破損状態が招くものだ。※極個人的な見解でしかないが。

例えば、jazz界の新鋭なんてのが毎年10組あわられたとしても、結局は3回ほどしか聴かれない。

と、いった矢先
菊池成孔とペペ・トルメント・アスカラールの新作、
『New York Hell Sonic Ballet』はすごい事になっていた。

彼の事となると、ものすごい贔屓になるが、
成ちゃんの音楽が好きかと問われると、半信半疑なところがあり、大概の作品は所有しているものの、
愛聴にはいたっていない部分があった。※ある種ダサい部分があるからだ。

ただ、今回は驚いた。(というかまだ聴いている最中だが)

多種多様な音楽的要素が、意図的に盛り込まれている様が表立っている。
やり口はまるでブレイクビーツもしくはオールドスクールばりのサンプリングミュージック的手法と同列にあるような輪郭なのだが、まるで違う。

彼の語り口が音になったような構成なのだ。(とてもわかりにくい表現だが。。。)

各地(各種)にある音のルール(※ここではジャンルではなく、ミニマル、コラージュなどの手法を指す)を、
一種にまとめ上げる方法として、ミックスという方法をとるのは容易であり、誰もが試みて成功もあれば、クソみたいなもんもある。

この作品はミックスなんて上品なものではなく、ほぼカットインの連続で構成されており、
それがミックス以上の効果を聴き手に与えているから異様なのだ。

彼の語り口は、よくぶっ飛ぶ。
例えば、音の話と、伊勢丹の話が平行していて、そこに彼の心理ではない、誰かの思想が盛り込まれる場合などがそれだ。

勧めはしないが聴くと面白い作品。

時期
2009/11/03(Tue) 02:17:51
”共感”なんてのが出回ったのは、ここ数年の話ではないことは確かだけれど、
数年前まで、表立ってこの言葉を聞いたような気がする。

やはり簡単に考えすぎていた。

時代は妙な方向に変わった。

誰を信じて、誰についていくか。
本当に先導者を求めていたのか、、、、。

その感覚はすでに麻痺していたのではないか。
手遅れだったというヤツだ。

結果、皆忘れてしまった。


何の事を書いているわけではない。
少し歳を重ねて気がついただけの話だ。

進化することでリセットすることは出来ない。
ミニマル化
2009/10/20(Tue) 02:22:24
 前記事にも書いたように、
あまりにjim o'rourkeの新譜、the visitorがすばらしすぎる。

tortoiseの”it's all around you”以来の創作性だ。

ジム・オルークについて、ここの書き出すと、
ソニックユースやガスター・デル・ソルにまで発展してしまうので、さけておきたい。

数年前まで、彼はある種未知の存在だったのだけれど、
大の親日家であることから日本で暮らすようになり、その辺で即興ライブを行っている。

”その辺で”というのが、重要なのだが、本当にその辺にいる。
個人的に過去2回、西新宿のビニールと、築地の居酒屋で見掛けている。
要はその辺である。


ミュージシャン(芸術家)というのは、素性が見えない事が優性に働いたりする。

わかりやすく言えば、ジョニー・ロットンとシド・ビシャス、
または、カストロとゲバラの比較のようなもので、こちらの捉え方一つなのだが、
亡くなってしまえば、素性は語られようにも語る事が出来ない。

ジミヘン、バスキアあたりも同様である。


ただ、現代を生きていると、そうゆうわけにも行かない。
boss the mcがやばいところに行った瞬間を目の当たりにする時もあれば、その逆も垣間見えたりする。

j dillaやklockなんかは、すでに語る事しかできない。

それは、まるで目の前で起きているような感覚であって、
つまり何がいいたいかと言えば、結局は、意識の中では時間を超越できないという話だ。

古い時間や、自身が体感していない時間というのは、
一定の長さを通過すると”想像する”という感覚にとても近くはないだろうか。

昔話など想像でしかなく、それが形として残るのは、共有者の数次第という事だ。

その事を危惧した結果、様々なアーカイヴィングが発展したのも間違いはない。
文字、絵画、造形、録音、録画、すべてのデータ化と検索化。
音楽や芸術に至っては、ある種、文字以上の思考表現を実現している。

ただ、アーカイヴィングの蓄積が現在に生んでいるのは、
こと日本に関して言うと、整列化でしかない。
(極単調な為、ミニマル化といったほうがいいかもしれない)

過去を一挙に”ここ”に見出す事ができれば、カオス化する事が想像できるが、
そうはならなかった。

検索には、優先順位がつけられ、おのおのにはスペックが存在し、フォルダ化が基本となった。
※要はPCのことなのだが。。。

例えば、過去が”ここ”にあって、それがランダムに垣間みる事ができるような、
精神文学的無意識共有状態を人類の最終目的とする思想も数百年前から唱えられているが、
それを実現させるにはバグしかなく、それに伴う突然のカオス化がもたらすものは、
とても平和的であるとは思えない。

話が危なくなってきたので終了。
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