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鈴木幸希
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gh
2008/04/30(Wed) 23:53:32

黒澤監督が、「映画と音楽は芸術形式が似ている」と言った後の話。

映画で時間軸を表したい場合の表現方法は様々。
シーンとシーンの合間に、外の風景を指し込み、また戻ると時間が経過したように感じたりする。

”流れ”というやつ。

黒澤監督はその”流れ”がいらないという。(そこでは、なぜいらないかという事について語らなかった)
その場合、音楽でいうカットアップに近い。

クラシックにおいて”流れ”は重要になっている。楽章として、組まれているくらいだ。

普通、人が瞬間的に”流れ”を切る事はむずかしい。
なにかしらのリズムがついてまわっている。(呼吸やら血流やら)

”流れ”を切りとるには、「機械」はかなり有効的だった。
映画にしても音楽にしてもフィルムを切り取って繋ぎ合わせることが出来るようになり、
時間を無視することができるようになった。

それにも関わらず、ある程度のリズムをキープさせた作品がほとんど。

別にそれがどうしたってことだけれど、
いったい何によってリズム(”流れ”)に捉われているのかが不思議でしょうがないだけ。

記憶か。

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jyooo
2008/04/26(Sat) 20:56:09
ひょんな事から突然の仙台行り。 全gw死亡説・・・。 新幹線の乗り遅れまいと切符売場に駆け込むと、 次の便まで5分しかない。 「グリーン席なら空いております」と駅員。 「それでいいです。」と自分。 いつもより4000円高い席は少し広くて枕のようなものが付いている程度。 昼に中野で迷っていたTシャツが買えるなーと、ケチな自分。 今、宇都宮を過ぎた。
fhl
2008/04/23(Wed) 23:21:54

現在系レディ・メイド=現在系既製品≠現在系オーダー・メイド=現在系特注品




その辺のオシャレ雑誌に、デュシャンが特集され、その中でレディ・メイドについて触れられていた。

”レディ・メイドは大量生産として作られた既製品へ美術的意味合いを見出そうとする試みであった”みたいな事が書いてある。

デュシャンについて、2ページで収めなければいけなかった編集者さんも大変だが、
あまりの説明に立ち読みしながらイラついた。

上の”便器”の写真が”レディ・メイド”の解説の際によく表れるが(あとチャリの車輪)、
これ自体が作品というのは認識違いもいいところだ。

デュシャンのレディ・メイドは、現在では紹介できるわけがない。

「fountain(泉)」と題され、1917年にアンデパンダン展(無審査の展示会)に出展するも、
展示会の意にそぐわず展示されることのなかった「fountain(泉)」。
※デュシャンはこの現実に対し猛烈な抗議を行い、それがダダ的概念の広がりをみせるキッカケともなったらしい。

彼のレディ・メイドを作品として捉える事ができた人間は展示会を運営していた人間だけ。
彼らが、「fountain」を認識していたのなら、デュシャンのレディ・メイドはその場で成り立たなかったともいえる。

要するにデュシャンの抗議行動を含めて、レディ・メイドは完成し、抗議によって認識された瞬間から、レディ・メイドは作品として成り立たなくなってしまっているといってもよい。

デュシャンはいかにも、知的な印象を世に残しているけれども、
イキ過ぎたパンクスだったのではないかとも思う。

なんせ便器にサインして、展示会に出して、出展されないとしると暴れたのである。
シド・ビシャスとなんら変わりない。

記録、保存が重要とされ大量のアーカイヴが整理され続けている現在、無意識にそれに捉われている現状で、デュシャンのレディ・メイドのような”出来事”を行う事は、簡単にはいかない。

”すべてはやられてしまった”という誰かの言葉はネガティブにも思えるが、
認知しておいたほうが身の為である。

”オリジナリティ”など口にされた時には、もはや意味不明だ。

jaz
2008/04/20(Sun) 00:24:11

友人が突然サンフランシスコに行くというので、彼のターンテーブルを買い取る事になった。

3台までは問題ないのだけれど、4台となると若干気がひける。

とりあえずmpcのサンプリング用で1台、dj用で2台。
4台目は・・・予備・・・。(dj用で3台は一時やったのだけれど、若干うっとおしい。)

というか、今年になって友人とタンテとシンセ交換し1台減ったばかりなのに、また増えてしまった。
こうゆう時は不思議と声がかかる。

2年~3年前から機材屋にいくと中古タンテがゴロゴロ転がっている。
一時のdjブームの残骸だろう。

7~8年前に買ったウチのpdxはむちゃにも耐えて未だに元気に回っている。
(2回くらい簡易修理)

友人から引き取ったpdxは去年買ったものらしいので、
入れ替えには丁度いいのかもしれない。

・・・・・・。

日本における第1次djブーム、1986年を体感している知り合いがいる。
40台前半だが、若い頃は六本木でホストみたいなことをしていたという。

krushやmuroとも近くにいた時もあるらしく、
「あの人達まだやってるんだ~(ニヤニヤ)」といった具合。

hiphopが先行して入って来たけど、夜のお店ではハウスが受け入れられたらしい。
nyのパラダイスガレージで現役のラリーレヴァンをリアルタイムで体感したというが、
「周囲のゲイに注意するあまり、よく覚えていない。」とのなんともリアルな感想。

その人からしてみると、若いモン(といっても26とかの我々世代)がdjやっているのは不思議だし、
うれしいという。

そんな我々世代のdjもどんどん消えていく一方。(半端もんは消えてほしかったけれど)

10代後半の頃、スケートブームからhiphopが入ってきて、ファッションから入った連中は、
そのうちにタンテもってないとヤバいみたいな事になって、必至に流行りのレコード買って、練習して、
「djだよ」なんて、言いだして、そのうちに買ってたレコードがゴミだって事に周りから気づかされて、
タンテ売って就職して、「昔djやってたんだよ」なんてキャバクラで言いだして、
死んだも同然。

"dj”って単語はすごくダサいけれど、d(ディスク=レコード)j(ジョッキー=操作者)=レコード操作者だから、
変えようがない。(ターンテーブリストなんてのもあるが、これはこれでダサい)

さらには"クラブdj"なんてことになると、背筋が凍る想いである。

akarmaって名前でやりながらも、こないだフライヤーに"dj akarma"と余計な事をされたので、
場内に貼ってあったタイムテーブルのdjの部分にポケットに入っていたマッキーで×印を書いたら、
オーガナイザーと気まずくなった。私もまだまだ子供なのである。

個人の自由だが、私としてはうっとおしいだけなのだ。

例えばこうゆうことではないか。

2008/4/20
(イベント名)@(クラブ名)

dj's(レコード操作者達)

dj(レコード操作者) cam
dj(レコード操作者) premier
dj(レコード操作者) shadow
theo parrish
matthew dear
dj(レコード操作者) dye

こんなまどろっこしいことになっている。

セオパリとマシュデアが良心的にみえてくる。
(確かにcam、premier、shadow、dyeだけではなんのことやらわかりずらい気もするが。)

なにがいいたいわけでもないけれど、"dj"って名称は文化として完全なミスである。



話変わって今日少し、渋谷にいた。
これ以上レコ屋(unionとtribeとdmrあたり)が潰れたら、心斎橋かnyに移住しようと思った。(最近ロンドンは魅力がなくなった)

※別件。jazzくさい街ってどこでしょう?

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