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鈴木幸希
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column4 : dada宣言
2006/12/12(Tue) 21:25:35

dada宣言なんてタイトルにしてしまったが、なにもここで自分が宣言するわけではないのです。
dadaとはなにかと、問われればdada創始者とされるトリスタン・ツァラの一言に集約されてしまってしまっています。

dadaは何も意味しない

上記の一言だけみたところでなんのことかなんてわかりません。
dadaはスイス生まれです。
1916年チューリヒの文芸カフェ(古本カフェみたいなものらしいです。そういえば三鷹にあったな・・)、キャバレー・ヴォルテールで、ルーマニア人のツァラ(詩人)、同じくルーマニア人のヤンコ(造形作家)、ドイツ人のバル?(反戦運動家)、同じくドイツ人のヒュルゼンベック(医学生、詩人)、アルザス(フランス)出身のアルプ(造形作家)が出会いから生まれたとされています。

dadaという言語は、発明された言葉ではなく、ルーマニア語で2重肯定を表すものだったようです。

それにしてもずいぶん国際的な始まり方ではないかと思ったのですが、同時期の「未来派」や「シュルレアリスム」も同様に言語、国境、民族を越えた運動を展開しています。ようするに20世紀アバンギャルドの最大の特色の一つというわけです。世にゆうグローバル化すら芸術から始まっているのかもしれません。

ところでヒュルゼンベックが(医学生、詩人)だというのをみて気がついた人もいるでしょうが、彼らはこのとき10代~20代前半の若者です。
851tzara5.jpg

 

←1919年のツァラ少年

 

 

その年代の若者がカフェに集い、悩み、なにかを始める。
それは今でもよくある光景でなにも特別な事ではありません。
dadaの始まりも「既成価値への不信」という観念がここで生まれただけの話です。(ただ2006年の自分が客観視した1916年の出来事なので1916年以前に既成価値に不信をもつということが、どれだけのことだったかはわかりません)

この観念が具現化(具体化?)されるのは2年後の1918年。ツァラの「ダダ宣言1918」に上記に書いた「dadaはなにも意味しない」という言葉が掲載されてからのことです。

dadaという言語自体を通常、言語が持つ意味作用から切り離してしまったわけですね。

851tzara.jpg

 

 

←日本語版dada宣言(版元の竹内書店という出版社が潰れたので書店では手にはいらないそうです。僕は本八幡の古本屋でみつけました。多分ラッキーな出来事なのです。)

 

 

 

dadaについて調べていると矛盾点が多く生じているのがわかります。
例えば「ダダ宣言」の中でツァラは以下のような発言もしています。

「dadaは共同体への不信から生まれた」
「私は破壊と否定の大仕事を成し遂げるのだ」

現在自分達がもっているdadaのイメージはツァラによる上記にのような過激な発言によるものが大きいことがわかります。dadaismという言葉を使用することで、「私は既成概念から外れています。」と宣言しているようなことになってしまっています。要はpunkなんかの発祥となんら変わりない意味で捉えられてしまっているわけです。

dadaはなにも意味しない」というツァラがはじめに掲げた宣言がその後のツァラ自身の発言をも被い尽くしているのならば、以後の登場したdada的表現すらなにも意味しないことになりますし、それ自体がdadaの消滅を意味しているということもわかります。
それゆえにdadaism(dada主義)という後にできた言葉すら正確ではないと、誰かが書いていたことを思い出しました。

dadaはなにも意味しない

「なにも意味しない」という言葉を聞いてマルセル・デュシャン(結局この人・・・)をおもい浮かべる人もいると思います。
ツァラとデュシャンの出会いのつながりも「dada宣言1918」から間もなくのことだったようです。

1918年の「dada宣言1918」はフランスのピカビアという画家を感動させます。middle_1151330278.jpg


 





←ピカビアの絵

 

 

 

ピカビアは当時パリ、バルセロナ、ニューヨークに「391」という雑誌を発行していたこともあり、ニューヨークのデュシャンやマン・レイと繋がりがあったようで、ピカビアを通じツァラはニューヨークのアーティストと繋がることになります。
ちなみにデュシャンの「レディ・メイド」(←知っといたほうが身の為です)は1913年には始まっていたので、ダダという言語が生まれる前にdada的無意味さに通じることをしていたんですね。(デュシャン一人で何もかもやられてしまっていることを個人的に再認識しました。)
ニューヨーク・ダダはデュシャンとツァラの出会いがなければ生まれなかったんです。

Duchamp_et_Ray.png

 

←デュシャンとマン・レイ

 

 

 

その後dadaは各地にものすごい勢いで散らばりました。

ツァラはピカビアの誘いでパリへ移り「リチェラチュ-ル(文学)」という雑誌を通じて新しい言語の可能性を模索します。
ドイツでも例のヒュルゼンベックが「クラブ・dada」を結成し、政治文化運動をくりひろげています。
エルンストやアルプがコラージュで偶然を表現したのもこの頃。ガラクタで構成される建築物「メルツバウ」が創られるもの同じ時期です。

1920年のあたりは世界中にdadaが広まった全盛期といえます。(しかし1920年代中頃には衰退したとされいます)

ツァラの「dada宣言」による現在への影響は多大なものです。

現在は「意味がないから」と片付けてしまうことが合理主義とされているようなところがありますが、意味をなさないことが生んできたものが自分達に与える影響はとてつもなく大きいということに気がつかないといけないかもしれません。

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無題
ダダ宣言、手に入ったんですね。
うらやましい。僕はまだ読んだことがありません。

「何も意味しない」

人間はどうも全ての事項に(そう、全ての!)意味づけをしなければ、不安になる生き物のようです。

だから、ダダやシュールは排斥されてしまうのでしょうね。

「生きる意味を考えるのは無駄だ」と言ったのはニーチェです。「いかにして生きるかを考えるこそが有意義だ」とも。

いかにして生きるべきか。

その指針は、ダダでありシュールでありシミューレーショニズムにあると、僕個人は考えています。

あなたは、どう生きられるのでしょう?
tra 2006/12/14(Thu)13:22:13 編集
無題
traさん
コメントありがとうございます。

どう生きるかということについてですが、残念なことにこれといって考えたときがありません。
自分の場合、人やモノの断片を集めて自己形成していると思っているので、それこそ誰を選ぶか、どれを選ぶかということが、僕が生きるということになるのかとも思います。

固執せず白紙のノートのようなものとして許容できるページを増やせていければいいのでは・・・・。
そのノートを整理する時がくるのかこないのか、あまりそれについては重要視していないです。
aka 2006/12/15(Fri)12:22:15 編集
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