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鈴木幸希
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アンチ・オイディプス
2008/08/12(Tue) 23:13:43
 

昼メシを食おうと一人ふらふらしていた時のこと。

いつも通りすがる本屋がヤケに目についた。
別の本屋で済ませる事が多いのと、個人的タイミングに店の位置がしっくりこない為、
入店した時すらない。

ヤケに目についたのなら何かあるに違いないと、
店の入り口を開けると、途端に好きな本屋の匂いが事に気がついた。

別にメルヘンでもなんでもなく、好きな本の匂いというのがあるのだ。
中央線沿いにちょこちょこあるような個人経営の古本屋の匂いである。

しかしその本屋は古本屋ではない。

今日の日まで古本の匂いだと思っていたそれは、どうやら違ったらしい。

店内には、数人はいるが、bgmもなく図書館のような静けさである。
特に目的がなかったので、適当に探っていると、本の棚分けがかなり曖昧なことに気がつく。

デゥルーズ=ガタリの隣に料理本が並んでいるかと思えば、
その隣に、女性器の論文なんかがある。

無意識という現象をある種の捉え方をした場合”睡眠”という事になるが、
もしかしたらその棚は3大欲求コーナーだったのかもしれない。

もしそうならば、店主は変態に違いない。

「それがあったところ、そこに私は到達せねばならない」
デゥルーズ=ガタリの本をみて、フロイトが書いた上記の一文を思い出した。

フロイトが人間の人格構造を、
超自我、自我、エスという3層に分別して精神分析を行っているが、
エスとは、要するに無意識のことである。

上記の”それ”とはエスであるから、エス=無意識ということになる。

無意識があったところ、到達しなければいけないとフロイトは言っている。
要するに”悟り”と変わらない。

到達せねばならないという反面、無意識(エス)に動かされているという見方もある。
武者小路実篤が言っていたヤツである。

「我々はないかによって支配されている」
というヤツだ。

これは意識を作用させているのは、まぎれもなく無意識だということを言っている。

デゥルーズ=ガタリは、アンチ・オイディプスにおいて、
人間の歴史的発展は、無意識(エス)による構造的展開と取り上げているが、

無意識に到達するというのは、
構造的展開の結果を見届けたいというある種の欲求からくるものに違いない。

そんなことを気にとめる人が何人いるのだろうか。

忘れ去られた先にそれがあるのかもしれない。

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