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鈴木幸希
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ミニマル化
2009/10/20(Tue) 02:22:24
 前記事にも書いたように、
あまりにjim o'rourkeの新譜、the visitorがすばらしすぎる。

tortoiseの”it's all around you”以来の創作性だ。

ジム・オルークについて、ここの書き出すと、
ソニックユースやガスター・デル・ソルにまで発展してしまうので、さけておきたい。

数年前まで、彼はある種未知の存在だったのだけれど、
大の親日家であることから日本で暮らすようになり、その辺で即興ライブを行っている。

”その辺で”というのが、重要なのだが、本当にその辺にいる。
個人的に過去2回、西新宿のビニールと、築地の居酒屋で見掛けている。
要はその辺である。


ミュージシャン(芸術家)というのは、素性が見えない事が優性に働いたりする。

わかりやすく言えば、ジョニー・ロットンとシド・ビシャス、
または、カストロとゲバラの比較のようなもので、こちらの捉え方一つなのだが、
亡くなってしまえば、素性は語られようにも語る事が出来ない。

ジミヘン、バスキアあたりも同様である。


ただ、現代を生きていると、そうゆうわけにも行かない。
boss the mcがやばいところに行った瞬間を目の当たりにする時もあれば、その逆も垣間見えたりする。

j dillaやklockなんかは、すでに語る事しかできない。

それは、まるで目の前で起きているような感覚であって、
つまり何がいいたいかと言えば、結局は、意識の中では時間を超越できないという話だ。

古い時間や、自身が体感していない時間というのは、
一定の長さを通過すると”想像する”という感覚にとても近くはないだろうか。

昔話など想像でしかなく、それが形として残るのは、共有者の数次第という事だ。

その事を危惧した結果、様々なアーカイヴィングが発展したのも間違いはない。
文字、絵画、造形、録音、録画、すべてのデータ化と検索化。
音楽や芸術に至っては、ある種、文字以上の思考表現を実現している。

ただ、アーカイヴィングの蓄積が現在に生んでいるのは、
こと日本に関して言うと、整列化でしかない。
(極単調な為、ミニマル化といったほうがいいかもしれない)

過去を一挙に”ここ”に見出す事ができれば、カオス化する事が想像できるが、
そうはならなかった。

検索には、優先順位がつけられ、おのおのにはスペックが存在し、フォルダ化が基本となった。
※要はPCのことなのだが。。。

例えば、過去が”ここ”にあって、それがランダムに垣間みる事ができるような、
精神文学的無意識共有状態を人類の最終目的とする思想も数百年前から唱えられているが、
それを実現させるにはバグしかなく、それに伴う突然のカオス化がもたらすものは、
とても平和的であるとは思えない。

話が危なくなってきたので終了。
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