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鈴木幸希
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2017/09/25(Mon) 04:17:45
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icc開館10周年記念セッションシリーズvol.2
「メディア・テクノロジーを生成する〈知〉」


4月?に行われたvol.1の「メディア×アートの創造と未来」に続く、セッションシリーズ。
vol.2台回目、6月9日のセッションは造形作家の岡崎さん、ニブロール主宰の人、そして郡司ペギオさんの3人。
ペギオさんは茂木さんのブログにたびたび登場する名前ともどもユーモアな方。

ところで、

いくらiccがメディア・テクノロジーがどうこういっても、しっくりこなくなってっきた。

今回は,「インターフェイス」「アーカイヴ」「ネットワーク」にトピックを絞りセッションが行われるという、司会はまたしてもドミニク・チェンさんだろうか?(同じ年齢と聞いて一番驚いた人。笑)

ところでなににしっくりこないのか。

自書、”メディア論”の中で「メディアはメッセージである」と主張したマクルーハン。
テクノロジーやメディアは人間の身体の”拡張”であると延べ、例として”自動車は足の拡張”などと書いていた。(個人的にマクルーハンの思考は好きになれない笑)

マクルーハンがメディアメディアと乱発したのは1950年代の事。(メディア論は文庫本で再販されその辺にごろごろ転がってます)

マクルーハンの意見は割とあとになって浸透したと聞きます。それまでは馬頭されていたと。
確かに、最近の若い人なんかがもろに影響受けた口調でメディア論を復唱していることはあります。

マクルーハンのメディア論は、”メディアやテクノロジーの根底をついている”なんていってしまったライターがいましたが、それも束の間。
メディア、テクノロジーは”身体の拡張”ではなくなりつつあるようです。

「メディアに食われている感覚、吸収される感覚。」
web進化論の梅田さんの発言。

上記はウィキやgoogleの事。(snsは無関係。勝手にやってろって感じ。)

メディアやテクノロジーがオープン化し、共有されるようになっている現状、それを”身体の拡張”と呼べるだろうか?(どちらかというとsnsが身体の拡張の流れを組んでいる)

無意識共有の話になってしまうけれど、”身体の拡張”というよりは、”無意識の拡張”(決して意識の拡張ではない)としたほうが、しっくりくる。

ユングが無意識共有を発表した頃、”夢”とは別のところで無意識が存在してしまうとこを想像したのだろうか?

イメージのミクロ化が進む無意識。
私が5~6年前?にみた無意識の世界は、こんな小さいところではなかったんだけれども・・・・。





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意識/無意識の共有
思えば、akarmaさんと出会ったのは、意識あるいは無意識の話からでしたね。

僕も現在のコンピュータやインターネットというのは「意識及び無意識の拡張と共有」であると思います。

おそらくマクルーハンの時代は、コンピュータがパーソナルなものになっていなし、世界中を接続できるネットワークも存在しなかったから、「身体的」なものしか想像できなかったのでは?

と思いましたが、50年代から60年代初頭はLSDの時代ですよね。
意識の拡張を盛んに論じられていた頃...。

うーむ。

そうか。個人の拡張はイメージできても「共有」はまだ想像できなかったんじゃないかな?

きっとそうだ。と勝手に結論します(笑)

それと。
SNSが拡張/共有を阻んでいるという意見、大賛成です。

tra 2007/06/07(Thu)13:33:40 編集
無題
LSDによる意識の拡張の時代!笑
確かに重なりますね。

(無)意識共有の話を持ち込むと何かと混乱してくるのは、それが”(無)意識”でしかないからしょうね。

出会ったのは確かに、意識、無意識の話からでした笑
何年前ですかね?
今後どうぞよろしくおねがいしますね。
akarma URL 2007/06/07(Thu)22:34:18 編集
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