「世界中に音楽が何曲あるのか?」
今日こんな質問を受ける。
ここで「〇〇曲です。」
などと素直に答えれるのも面白いかもしれない。
(なにかしらの制約をつければ返答が可能かもしれない)
外出すれば認識できる音を音楽として変換して歩いている人もいる。
個人の認識次第意外のところでも様々なパターンが出来上がる。
世の中が複雑化していくほど音楽にあふれる可能性が高くなる。(それがいいものかどうかはもちろん別の話だけれど)
しかしNYとブダペストでNYのほうが複雑なゆえパターンが増えるのかと言われればそうでもない。
認識できる音周波数はたかが知れているが、ふと意識を向ければ普段認識していないだけに、異常に感じてしまうほどパターンが存在する。
では、普段認識していない音とはなにか。
どの音を必要として、どの音を必要としていないのか。
例えばサッカーをしている時にカラスの鳴き声を気にする瞬間はあまりない。
チームメートの声や後ろからくるディフェンスの動作音に意識を向けているのが、サッカーをうまく運ぶ事につながる。
なにかをうまく進めるために意識する音を選ぶ。
生きる為に意識を向ける音を選んでいる。
街を歩きながら、「今の音やばいね~」なんて話はあまり聞かない。(皆、心にひそめているのかも知れない)
坂本教授が、学生の頃、電車に乗った際はすべての音を認識するトレーニングをしていた、みたいなことを言っていたがこれは尋常な作業ではないし、私が試した時に認識できた音は100分の1にもすぎなかったはずだ。
同じ音楽が好きだという人間よりも同じ音を認識できる人間のほうが気が合うに違いない。
どれだけ音楽を”認識”できるか・・・・なんて重要ではないかもしれないけれど、きっと有意義な事だ。
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