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鈴木幸希
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2026/04/01(Wed) 17:34:03
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kko
2008/04/07(Mon) 00:35:10

BBSの皆さん(まったく浸透していない隠語のようだが・・・)と、
ジョイ・ディヴィジョンを描いた映画”コントロール”を観た。

イアン・カーティスが自殺したバンドでその後のニューオーダーってくらいは知っていたけれど、
まともに聞いた時もなかった。

1980年に自殺したってのも、始めて知って驚いた。
ジョンレノンが殺された年と重なっている。

不思議なもんで日本では今年ジョンレノンのpeace bedを公開したばかり。
誰かがそんなタイミングに合わせたのだとしたら、ひどい。

1980年にはAC/DCのボーカルもアルコールかなんかで亡くなっている。
そろそろ映画化だろうか・・・。そこまでやればユーモアになるかもれない
(不謹慎になってきたが、別にロックミュージシャンの死亡日を覚えている趣味はない)

イアン・カーティスを知ったのはおそらく、西新宿のレコード屋に通っていた頃の事なのだと思う。

当時、イギリスのレーベルを買うには、西新宿が良かった。(8年前?ラフトレードがあの辺にあった頃だ)

音楽遍歴がおかしいのは多感な時期に西新宿なんかにいたからではないかと思う。
西新宿のレコード屋なんてのは、職業不詳のおっさんと、あまりの本気さに人と話すこともままならないバンドマンしかいないのではないか・・・。(店員しかり)

ロック漁るなら未だにあの辺に行くのがいいのかも知れない。(宇田川町のようになっていないことを祈りつつ)

ジョイ・ディヴィジョンが好きかと言われると、今はピンと来ない。
一ヶ月後はわからない。音楽はそんなもんだ。

パンク以降(直後)の音楽はいまだに苦手意識がある。
パンクを買っていた頃にやはりニューウェーブなんかは近くの棚に置いてあることが多かった。

パンク少年がそんなもんに手を出したところで、なにがいいのかわかるわけがない。
時期が経ち、状況が変化したとはいえ一度否定したものを掘り返すわけにはいかないのである。
(もちろん思考なんてものはないようなものだから、その都度変化するのだけれど)

映画を観終えて、ジョイ・ディヴィジョンが好きになったかと言われれば、正直、そんなこともない。
ただ、イアン・カーティスはただの薬中と思っていた誤解がとけた。(薬中には違いないのかもしれないが・・・)

さっきまで、youtubeでディビジョンをみていたら、
関連にdisorderが出てきた。(曲名とバンド名が食い違ったのだろう)

その後、GBH、chaos UK、SHAMなんかが出てきたから、mpcにアサインして、パット叩きまくってみた。
聞き覚えのない音ができてうれしくも儚く。

なんだかんだ書いたが、ロック親父にもソウル親父にもなるまい。

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hj
2008/04/01(Tue) 23:19:45
何個か嘘をついてみたが、いつ打ち明ければいいのだろか・・・。
lpoql
2008/03/30(Sun) 22:33:41

シネマライズで、ヘンリーダーガーの大作、
”非現実の王国で”を映画化したものが公開された。

引き籠りの妄想劇といってしまえばそれまで。



なんどかダーガーについては書いているので、もういいかなと。

・・・・。

ということで、妄想について。

男子校あがりが”妄想”などと口にすると、それだけで煙たがられてしまうような言葉になってしまっている、
妄想。(性的妄想という括りもあるけれど)

妄想は、統合失調症(=精神分裂病)に伴って生じるもとがあると解釈されているらしい。
※精神分裂病という名称は、患者の関係者、親族からの苦情が相次いだため、その名称を伏せたらしい。
(分裂していない人などいないと思うのだけれど・・・)

思考内容に障害が起きるとのことだが、大きい括りでいくつかに分類されている。

被害妄想、関係妄想、跨大妄想、嫉妬妄想・・・・宗教妄想なんてのもある。
患者自体がその非合理性を感じている場合、程度が軽く妄想とは別物らしい。

反対に程度が重いものに、幻覚がある。
人の言うオカルト体験などは、大概が幻覚という事で決着がついてしまう。
※水木先生の妖怪に関して、なんともいえないところだけれど・・・。

人には自己モニタリング機能というのが、あるらしい。
脳で考えたことが、”自己の思考”であると判断がつく場合、モニタリングは正常と言えるらしい。

自身の脳内思考が外部からの情報として捉えてしまうと、偉い事になる。
外部から、自身の思考していたことが入力されていく。または外部へ出力されていく。

結果、接することをしなくなるが、
一人でいても状況は変化しない、外部が”誰か”ではなく”何か”に変化するだけの話。

自己の妄想を形にしている人として、草間やよいがある。

彼女は執拗に水玉を描いている。
”水玉を体中に描くことによって、自己を破壊し、宇宙の自然に帰る”とかいう人がいるが、
それでは、まるで、彼女が妄想によって苦しんでいたとでも言うようではないかとも思う。
※”妄想の形”自体に水玉があることから、自己から取り払いたいと考えたという考え方もできるけれど。

ヘンリーダーガーに関して言えば、雑誌が新聞の少女の顔を切り抜き、
コラージュを使い、その少女達をヴィヴィアン・ガールズとして、戦いを行っている。(もはや謎である)

妄想も、行き過ぎたもののほうがおもしろい。
自己の内面がやられてしまうだけの最近の流行り妄想は・・・・ね。
gks
2008/03/25(Tue) 02:11:02

人伝の話だけれど、
メディアに関して疑問を持っている人がいるという話を聞いた。

「メディアは嘘をつくから」

そんなことを言っていたらしい。

「メディアが嘘をついてもこちらで判断すればいいだけの話だ」という人もいるし。
素直にとらえる人もいる。

昔っから、(それこそ古い雑誌とかをみていいると)そうゆう議題があがるけれども、
なにが変化したわけでもない。

ゴシップを好む人も多い。
要はある出来事があって、それに対して、討論したいだけの話である。
ある出来事に対しての自身の考えが、あたかも自身の人格のようにとらえられてします。

「あれについて、私はこう思います。」

これが”自己主張”というヤツになっている。
アレに関して、あなたがこう思った事は、誰かが思ったことの代弁であることがほとんどである。

私は、”自己主張”というヤツに嫌気が指すもんだから、そんなことはあまりしない。
要するにいい加減な人間である。

そもそもメディアについて、私がどう思っているか、私自身で検討してみた。

我が家にはテレビはないがネット環境にはあるし、暇があればpcの前とレコード屋を行ったり来たりするくらいの事しかしていない。
現代のメディアはどこにあるかといえば、テレビではなくネットワーク中心であることは疑うわけない。

いつも書いているけれど、こちらからメディアに向かう事が一般的な感覚である。

勘違いされがちだが、メディアというのはリアルタイムではなく、すべてがアーカイブである。
アーカイブに対して、虚構だの真実だのという話をしていては、キリがない。(生中継がどうのこうのとかいう話ではなくて)

皆、ある程度の教育の中でアーカイブをそのまま捉えてきたことはなかったはずである。
”歴史”についてがいい例でだ。

例えば、満州事変について、どうのこうのいっても、なにが変化するわけではない。

芯をとらえたところで、なんの面白みもない。

出来事は壊してしまえばいい。

芸術や音楽(ある種芸術もあるが)はそれをやってきた。(その点、文学はバロウズが言ったように、遅れているのかも知れない)

音楽を精神論で語るヤツがあるけれど、そこに何が実ったかといえば、アーカイブの模様が複雑化するだけの話である。

過去の音楽などは、適当な感度で取り込めば、本来の意味での”無意識”が勝手に導いてくれる。
(向いている方向性にもよるけれど)


ただただ、主張の多さにいらついただけの本日のお話。

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