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鈴木幸希
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automatism
2007/03/10(Sat) 03:19:37

自動記述について書くと、いつか書いていたので書こうと思います。

自動記述=オートマティズム。

こんな感じで書き始めると、どっかのコピーや解説のように延々つまらない文章が続いてしまうので、もう後悔しているわけです。

634nadja.gif



←アンドレ・ブルトン著 「ナジャ」 (小説のシュルレアリスムってことらしい妙本)








自動記述がどうゆうことかってことだけ前提に置きたいので、以下コピペです。

自動記述、自動現象。そもそもは生理学・心理学用語であり、意識の介在なしに動作を行なってしまう現象を示す。1920年代ヨーロッパのシュルレアリストたちはこの現象を表現に応用し、理性によるコントロールを取り除いて意識下のイメージを記述することを目指した。自由に思いつくままの言葉を記したA・ブルトンとF・スーポーによる詩『磁場』が嚆矢とされる。F・ピカビアのインクのしみやJ・アルプのちぎり絵、M・エルンストのフロッタージュ、O・ドミンゲスのデカルコマニー等がそれに続く。第二次大戦前後にブルトン、エルンストらはアメリカに亡命するが、アメリカでもオートマティズムの方法論は注目され、A・ゴーキーやJ・ポロックらがアクション・ペインティングを産み出すきっかけとなった。



ブルトンの文章による自動記述以降とも言われるフロッタージュや、アクションペインティングは高校生だった頃の私が知っていて実践したくらいですから(美術同好会にいたんです。初年度計2名の同好会。オサダはどうしているのか?笑)、なんというか一種の手法(方法)として認知されていますね。(コラージュなんかもそうだ)
シュルレアリスムは現在は一般美術教育の一環となってるでしょうね。義務教育の段階では、シュルレアリスムやダダが生んだ方法は教育されなかったように思いますが、美大やなんかではそうゆうことばっかするんでしょう。
なぜ義務教育の段階で避けられているのかも問題になりそうですが、記憶していないことが多いので・・・。


ernst.jpg





←マックス・エルンストのコラージュによるもの 
  (彼の奇書といわれる全編コラージュの”百頭女”はまだ未読です)










「理性によるコントロールを取り除いて意識下のイメージを記述する」


自動記述はそれこそ誰にでもできる行為です。
私も以前やってみたことがあります。(ノート5枚分くらいですが。←なぜそれくらいで終了したかって多分聴いていたアルバムが終了したんでしょう。私の行動は案外cdやレコードの終了に支配されるところがあります笑)

私がやってみた感じ、なにか現在を断片的にそのまま書きとっているようなものになりました。
目に見えること、書いているうちに手がしびれてきたこと、それに気がついたこと、そのことで意識が脳にいったこと、何度も同じことを書いているんじゃないかとバイタリティのなさに不安を感じたこと。その時々一瞬一瞬を書きとるという作業になったわけです。

ただそれも、思考自体に書くという行為が追いつかないもんで尚更断片的になってしまうんですね。
私が試した感じそんなもんでした。

ただこれを毎日のように延々と続けていると、どうも気がどうにかなるようです。
ブルトンはフィリップ・スーポーという男と2人で毎日のように自動記述に取り組んだようですが、自動記述のスピードが猛スピードになりのめり込むほど狂気に近い状態になるというんです。
「窓から外を見たら飛び降りたくなった」とか「外にでると奇妙な幻覚に襲われた」とかいうコメントを残しているようです。

私は物書きではないですから、何とも言えないんですが、文章を書いている作家さんやライターさんなんかは、こうゆう一種自動記述的な経験をされたことがあるのではないでしょうか?

私などヒドイもので、ブログの記事を「バー」っと書いて、後なり読み返すと、なんか変なことを言っていたり、思ってもいないことを書いていたりすることがあります。(そして次の日なんかには忘れている)

日常的なことなんでしょうね。

そういえば永遠スクラッチしている時なんかもあります。それと同じで永遠ソロパートを引き続けるギタリストなんかも、もはや自分の意思とは別のところで弾いているんでしょうね。


少し話変わって。

茂木健一郎が言っていたんですが、ランボーだかデカルトが言った”我思うゆえに我あり”という言葉がありますね。
その当時の哲学では最先端というか、前衛的だったこの言葉も現在では、小中学生がこの哲学をあたりまえのように認識した上で自殺したりするって。



我思うゆえに我があるのは、どうも通常意識状態(←日常という感じでとらえてください)でしか意味をなさないんじゃないかと。
少し日常のスピードがあがったり(超現実状態とでもいうのでしょうか)、意識が飛んでいる時(寝る前とかそうゆうことでもいいです)なんかは、”誰かに私が考えられている”というような状態を感じざる負えなくなるようです。
禅なんかもそうなんじゃないでしょうか。自己を見つめることをしようとすると、どうも内部へ向かっていくイメージをするけれども、そのことに集中することで外部との接続を途絶えたりすると、意外と内部には何もないような状態が禅の目的とするところではないでしょうか。(←大雑把にね)


眠いので眠ります。

ではまたー。

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ドグラ・中村宏・マグラ
2007/03/09(Fri) 02:04:59

1180nakamura.jpg




















2週間くらい前だったか、現代美術館に中村宏 図画事件1953-2007を観に行った時の出来事がメモ帳に保存されていたのを見つけた為、upしますね。

中村 宏という名前を聞いても特にピンとこなかったのですが(日本の芸術家というのに目を向けてこなかったからだろうけれども)、広告を観た時に、どうも見覚えのある画風のものがあったわけです。

5~6年前でしょうか、三鷹に住んでいた時ですね。
おそらくその日もダラダラとした日をすごしていたんでしょう。中央線に乗り普段はあまり降りない高円寺へ。

高円寺というのは以前から苦手でして、なぜかって似たような古着屋しかないし、レコード屋は”伝説の!!”とか”再結成!!”とか”極悪!!”とか”変態!!”とか”元祖!!”とか”限定!!”とかいう類しか取り扱わないもんだからどうも狭っ苦しくて苦手なんです。大概ラーメン屋まずいし。

そんなこんなで高円寺のアーケードを早々に抜けて、なんとか通り(地蔵通り?)のほうまで行くと、中央線特有の”外から見たら全体的に茶色の古本屋”があるもんだから、吸い込まれるように入ったわけです。

なぜか特定の古本屋には置かれている”マリファナ・ハイ”(でかいのでかなり目立つ)を筆頭に”アシッドなんとか”や”マッシュルームなんとか辞典”、”ボブ・マーリーの歴史”、アムスうんたら”みたいな本が羅列されて、尚且つ店員がやたらにやさしい碌でもない店だったわけですが、そうゆう古本屋に大概直結して置いてある精神系の本なんかを集めていたもんだから、店内をジッと見定めていたんです。

そのうちに澁澤龍彦や乱歩、種村季弘なんかの棚(この分類も大雑把だけれど、自身が古本屋の店主だとしても、同棚に収めることでしょうね)を見ていると、”ドグラ・マグラ”なんて書いてある文庫本がある。
なんか見覚えがあるなーなんて考えてみると、大槻ケンヂが「俺はドグラ・マグラを狂うように読んで狂った」みたいなことを何かの記事に書いていたのを思い出したんです。(大槻ケンヂとドグラ・マグラが共存している人は結構いるんじゃないかな笑)

ドグラ・マグラは夢野久作の書いた中でも割と知られているものです。(今もその辺で文庫買えるし)
わりと知られているくせに、この本を狂うまで読む人はあまりいないのではないでしょうか。

どんな本か。

記憶をなくし、精神病患者扱いされていた主人公から始まります。彼は様々な手段で自分は何者かを知ろうとし、そこにはさまざまな人が現れ、読者(私たち)さえもそこに入り込んでいるし、その後は脳がうんたらかんたらみたいな医学書みたいな流れになったり、細胞がうんたらのような話を通り越して、読者は自己意識をどこにもっていくか迷いながら衝撃的な結末へ向かうわけです。(ほんとに衝撃的なので読めばいいです)

話がドグラ・マグラに集中しましたね。

その本屋には”夢野久作全集”というのが大事に飾られていたわけです。
そこにドグラ・マグラの表紙が違うものも混じっていて”なんだろう?”なんて見ていたんですね。

赤主体の言ってしまえば毒毒しい感じの。
yumeno01.jpg







←夢野久作全集






確か8000円くらいだったと思うんです。全集ではなくそれぞれが。

自身がその時買った文庫の中に、この”赤”の挿絵が入っていて、なんだかおもしろい絵だなーなんて思っていたんです。

そんなこんなで5年。
ついこの間、またそんな絵が目の前に現れると・・・・。
高円寺ではなく、清澄白河で(現代美術館)

場所と時間が記憶を曖昧にしたのかすぐには思い出せず、もやもやしていたんですが、当日展示室に入ると、もちろん夢野久作全集が並んでいるわけで、所有者は高円寺のあの店主か?なんて思いながら観ていたわけです。
494_1_3.jpg












中村宏さんはまだ健在です。75歳くらいになるようですが、2002年から2004年くらいの作品はぶっ飛んでいました。(web上に画像が見当たらないので、彼の後期の作品はupできないのですが・・・)
浜松出身で造形大の教授みたいです。浜松出身で今年造形大を卒業するQrome君は講義を受けたりしたのでしょうか?笑

nakamura_hiroshi.jpg












この展示会は必ず行ったほうがいいですよ。
「趣味じゃない」とか言わないで。
新国立美術館にピカソやシャガール観にいってる場合じゃないです!

中村宏さんの時代性、内面がリアルに出ているように感じたので、正直まともに見たら疲れますけどね。
作者と同世代の人はさらにきついんじゃないでしょうか?

scan100027.jpg

Underground Broadcasting
2007/03/08(Thu) 00:09:54
どうもこんばんわ。

ここのところ毎日渋谷にいるものだから、どうもレコード屋づいてしょうがない。(帰り道にあるものだから寄らないわけにいくまい)

学生の頃も恵比寿という場所柄、日課のようにレコード屋である。(その間、恵比寿から渋谷まで毎日歩いていましたが、習慣でしょうか、電車に乗り降りすることより、歩くほうが面倒ではないという考えが未だにありまして都心では歩きまくる習性があります。体力はなくなったように思うが・・・・)

で、本日のラッキーな4枚。

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Herbest Moon, Junji Kanari

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Numb, Youske Nakano, Ackky, DJ Hisa

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DJ Baku, DJ Duct, DJ Itao, Inner Science, DJ Kiyo

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DJ Sodeyama & Gonno, Goth-Trad, Shuren The Fire, Ponchi, Taikoman


メンツみたとおり、「ああーそうゆう感じね・・・・。」と予想がつき易い4枚。笑

LIBEのデザイナー、森田貴宏さんのビデオUnderground Broadcastingのサントラと言ったところです。

F.E.S.N(Far East Skate Network Production)の作品というと、スケボービデオが主なんですが、ミュージックビデオ、ドキュメンタリーなんかもあります。自身はTHA BLUE HERBのビデオしか所有していないです。(彼らのPHASE 3の発売が間もないですが、楽しみですね。クリップで見た感じONOちゃんのトラック・・・・ねぇ笑)

今日は、なんでこんなこと書いてるかってアンドレ・ブルトンの”自動記述”について書いていた記事が消えてしまったから、忘れ去る為に雰囲気をできるだけ変えているわけです!(今、思い出してしまった)

次回かなんかに書きたいんですが、”自動記述”はどうやら前の記事で書いたシュルレアリスムの根底にあるようなもののようなので、少し突っ込んでみようというわけです。

ちなみに自動記述とは、”なにも考えずに紙に向かい、ペンを高速で走らせる行為”のことです。
やったときある人もいるでしょうけど、結構おもしろい結果がでます。

それではまたー。

Soft Machine / transfigureさん
2007/03/06(Tue) 02:21:44
一つ下に載せた記事(イラスト)は、transfigureさんによるものです。

以下、traさんがブログに載せていた概要をそのままコピぺします。

Soft Machine:柔らかい機械

機械でも生物でもないもの、現実に存在しないものを表現したい。

そして、それは僕が影響を受けたもの、好きなもののサンプリング/カットアップ/リミックスであること。

平面でのみ表現でき、立体物に造形できないもの。

そう考えたとき、ふと浮かんだ言葉がウィリアム・S・バロウズの小説のタイトルでもある " Soft Machine "だったんです。

僕がぼんやり思っていたことにベクトルを与えてくれました。
ピッタリの言葉だったんです。



初期ウルトラシリーズの怪獣、ウルトラマン、ウルトラセブンのデザインを行ったのが、シュールレアリズムの彫刻家である成田 亨(なりた とおる)先生です。

僕の絵は、その怪獣、マン、セブンの部分をサンプリング/カットアップ/リミックスして描いているんです。

最大限の敬意を表して。

成田先生についてはWikipediaで検索してみてください。
いかに偉大なアーティストであったか理解できるでしょう。



製図用シャープで描くのは、均一な線で表現したいから。
Gペンとか、筆とかの筆圧で太さが変わるのが嫌なんです。
それでいてアドビ・イラストレータなどのベジェ曲線よりも柔らかな感じにしたくて。
それに...僕の手に一番馴染んでいるから。


20年前にもシャープで描いてたんです。
そのときデッサンをずいぶんやったんですが...うまくいかなくて諦めました。


では、何故、今、描き始めたのでしょう?
それは吹っ切れたから。
アカデミックな教育を受けていなくても、絵は描ける。
自分のやりたいようにやる。
要するに快楽原則に忠実に表現しよう、と思い立ったからなんです。


稚拙さを武器に。


以下 akarma(私)

traさん。勝手にコピペしたり掲載したりしました。気にいったんです笑

transfigureさんの作業は、明確です。
とても数学的なんですね。 一緒にご飯を食べに行ったときにメニューを対して見ることもなく決定していた時に感じました笑

初期ウルトラマンシリーズ、成田先生については、”日本のシュルレアリスム”という本で少し読んだことがあります。
ウルトラマンのディテールは確かに超現実的デザインのように感じる。(怪獣に関しては一概に言えないけれど)。
この辺の話は友人cobra君が詳しいのではないだろうか?笑
8cb8e135-s.jpg
















シュルレアリスムに関してはdada-experiment-societyをやっている上で避けることが出来ないことは、感じていました。
現状、本を適当に買い漁っている感じです。(アンドレ・ブルトン中心に)

ただ全体を知るには何年かかるやらという文化であることはわかってきました。
順繰り順繰り。
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