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鈴木幸希
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2026/04/24(Fri) 01:21:45
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dabunn
2007/01/05(Fri) 21:53:35

3連休、友人の影くんが我が家に映画の撮影をしにきます。
先日も夜な夜な大道具を運び込んできたところです。

なんどか途中の台本をみせてもらったのですが、影くんらしい面倒くさい作品が仕上がりそうです。
役者さんを使っての大仕事を一人でやっているので、どんどん痩せていきます。

3連休はそんなこともあるので家で影君の映画用音楽でも作っていようと思っていたのですが、久しぶりにレコード欲が爆発です。最近は家で慎重に視聴してネットで買っていたのですが、どうもそうゆうことじゃないのはわかっていたことです。

視聴して買う分ハズレはないのですが、欲求がおさまるわけではありません。
「中古屋で雰囲気で買って家で聴いて後悔」するまでがレコードとの付き合い方です(修行です)。
家にある9割のレコードはそんな買われ方をされているゴミ同然の重たい塩化ビニールです。

そんなわけで3連休はレコードマップ2000(古い、最近発刊してないんじゃないのかな?)を片手に中央線小田急線山手線を動き回ろうと決心したところです。

修行を怠っていた分、敷居を思いっきり下げて買い捲ろうと思います。財布を空っぽにしてやります。
引越しを目前にまたゴミの山を家に持ち帰る3日間が楽しみでなりません。

苦痛の視聴会に参加してくれる方募集です。

 

ここで例年のごとく去年よく聴いた音源をメモさせてください。

dill_dancemusic.jpg

 

 

 


dill / Dance music
井上雄二がダンス作品のために書き下ろした曲群。simの3人が参加しているので、それくさいといえばそれくさいんですが、この音のなかでダンスなされるということが意識されているため「妙な間」が存在しています。
「妙な間」がすべての作品。

 

PFCD13jpg-s.jpg

 

 

 


Ametsub / Linear Cryptics

レーベル元のPROGRESSIVE FOrM自体2年ぶりにリリースする作品。
Radiq以来の作品です。
一度、西麻布のbullet'sでライブをしていてあまりにもヤバイ音楽だったのと、bullet'sという箱があまりにも閉鎖的だったことが相まって話しかけたことがあるのですが、変態気味でした。
昨年中トップレベルに面倒くさいメランコリー作品。


elegy.jpg

 

 



minami hiroshi / Elegy
南さんの作品は間違いなく勃起させられます。
以下の成ちゃんのコメントにつきます。

「誤解を恐れずに言えば、この作品は南博の鬱性が生んだ傑作である。」--菊池成孔



redio_a.jpg

 

 


masayasu tzboguchi trio /  Radio Acoustique
DCPRG、東京ザヴィヌルバッハの参加でも知られる坪口さんは成ちゃんの影に隠れがちですが、センスは成ちゃんよりよかったりします。高校生からフリージャズやってたような変態(天才)さんです。
アフリカに転倒したあとのジャズピアノ作品に戸惑っている暇もなくプログラミングでフリーと化していく音には驚きましたが、聴きすぎて・・・。
キョンキョンが主演の空中庭園という映画で、キチガイドラムの外山明さんとともにサントラ作ってたりします。(あんまりよくなかったけど)


projects_cover_songs.gif









MAX RICHTER / SONGS FROM BEFORE
Fat Catのサブレーベル130701からのリリース。ドイツ人ピアニストMax Richterの3rdです。変わらないなーこの人。
室内楽な雰囲気も持ちながらも、アブストラクトな要素はほとんどなくクラシックファンにもアピールするのではないかという美しいサウンドをつくりあげています。元ソフツのRobert Wyattが村上春樹の小説からの引用文を朗読する、リーディングもフィーチャーしたトラックも収録されています。(一人で聴かないと危ないです)

bf_dea_s.jpg

 

 

 


Blue Foundation / Solid Origami -Collected, Reworked & Remixed
雰囲気を変えないと偏っていますね。
年末にでたBlue Foundationの新作です。今年の4月には2ndアルバムを出すようですが、7年ぶりくらいではないでしょうか?アブストラクトな修行時代お世話になったBlue Foundationがまだデンマークで活動していたなんて涙です。対した事ないけど記念に一枚。タツキのスクラッチはどこまでイカレタのか2ndが楽しみです。krushを欧米に呼んでいたのはタツキらしいですよ。
ワカカのKlock、BAKUが派手に表にでた次はタツキの番なのです。(KlockのHPが長らく休止しているようで、彼の様子がわかりません。鬱にでもなったんじゃないかと勝手におもってます)


面倒になってきたのでこの辺でやめておきます。

明日は何を買って来ようか♪

 

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あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

年末年始は例年のごとく岩手のほうへ帰郷しておりました。
今回は友人cobra(慣れたけどすごい名前。笑)の計らいでaxion含む3人でライブする機会に2度も恵まれ、楽しませていただきました。
イベントに携わっていたresurrectionの皆さん、ENTERの皆さん、suzukionkyoのジュンさん。初顔合わせのところ親切にしていただき感謝してます。

 

さて

帰郷するたびに方言について考えます。

土地独自の言語以外にもアクセントやニュアンスで構成されているため、多少難解であることは確かなのですが、向こうの友人と1分と話さないうちに同言語でコミュニケーションをとっている自分に気がついたりします。
そしてその言語のほうが心理の裏表が明確に読み取れることにも気がつくので、自然とこちらの言葉にも感情がこもっていることがわかります。

共通語にあの感情を見出せることがあるのか疑問が残ります。

年始、実家に兄と姉がつれてきたゲストが2人きていたのですが、酔っぱらったウチの父幸雄が方言プラス巻き舌全開で責め立てていた時2人はどこまで理解しているのか観察していました。(幸雄の会話はそれに加えカットアップ気味です)
結果的には大雑把に話す幸雄に対し大雑把に答えるという、それ相応の対応で返している2人がいた時、感情だけでも会話が可能なのかもしれないなどとおもっていました。

ある文章があったとき、速度によっては認識できる意味が同じ(または類似)するといいます。

試しに。(以下invesible jukebox  / トニーへリントン著より)

ヴァイオリンで純生調の演奏をすると、音の振動が腕を伝って顎のところで共鳴し、低い音で演奏すればするほど、その共鳴の度合いが強くなる。


音のヴァイオリン強くなる。音の振動がで純生調の演奏をすると、腕を伝って顎すればするほど、その共鳴の度合いがのところで共鳴し、低い音で

視覚的に飛び込んでくるのはヴァイオリン共鳴演奏低い純生調などの言語ではないでしょうか。
カタカナのインパクトと漢字の羅列だけである程度文章の意味をかたどっているというふうになります。(もちろん誤解を招くのもこのことからでしょうが)

「文学は芸術に100年遅れている」とバロウズは公言し文章のカットアップを用いて作品を出した時、世間は驚きもせずジャンキーのやることだと無視したのは、実際にある程度認識できたからでしょう。

街中においての人の会話のほうが実験的だったりすることは多々あります。それを「文章という形にされた」という認識はしないにしても、なじんでいることなんですね。

帰省してイベントに出て思ったのが、すべてにおいて遅れをとるエレクトロニックミュージックのエフェクト処理が大幅に進んだことです。
そしてその効果に慣れ始めていることも。

なにか見つけなければいけないのはどの分野においてもおなじようです。

今年なにか発見できることを目標に・・。

帰省(既成)
2006/12/27(Wed) 22:10:51

年末年始岩手に帰りますので、お休みです。

友人Oの計らいでイベントに2回でるので写真でも載せれればよいなと思ってます。

良いお年をー。

細分
2006/12/26(Tue) 23:47:33

light_004.gif

 

←サーラ・エクストロン 「Grotesque & Arabesque」より

 

ガーデンプレイスの東京都写真美術館に行き、「光と影」展を観て来ました。

展示会のサブタイトルに「はじめに、ひかりが、あった」とあるのですが、そのサブタイトルに考えを向けながらの鑑賞をなりました。

展示会自体からはとくに感じ取れることはなく(白黒のコントラストになにかを見出すことができず)、30分もしないうちに会場を後にしました。

一点あげるなら、サーラ・エクストロンの知らない作品が観れたことsaara_tn.jpg

 

 

 

フィンランドのオバちゃんはかなりの親日家で日本でも公演などを数多く開いています。(子供向けに)

作品に植物をよく使用する人で、写真だけではなく、映像やインスタレーションも行っています。

有機的な素材を使用し、成長から退化までのプロセスを実験的に用いた映像作品は、生と死のイメージをモチーフにしているといいます。 以前観た映像の素材はバクテリアを用いたものでした。

光と影、生と死、卵と生体、躁と鬱・・・。

二極化されるものの割合や発生が議論されている様子は、それこそ電車内でも喫茶店でも行われますが、この類の事にあまり馴染めずにいます。

言葉は物事を分裂させる特性を持っているのはいうまでもなくて、その良い例が身体です。私達の身体にはあらゆるところに名前がついています。どこからが喉でどこからが顎か・・・。そんな疑問をいだく以前に、喉とは何か?顎とは何か?ということにはなりません。

以前、友人はプラモデル作る時、「説明書を見なくとも作れる」と言っていました。

私達が言葉によって分解された身体をパーツとして認識しているが故の発言でしょう。

つい先日も新宿でバラバラの遺体が発見されたようですが、「手」「足」などバラバラの部位が紹介されていたのを聞いて不思議に思いました。
人をバラバラにするということは、通常の人間なら精神状態が安定しているとはいえないはずです。そんな精神状態においても身体をパーツとして認識しているがゆえに、手とされる部分を切り、足とされている部分を切る。別にどこをどう切ってもゴミ袋に収まればよかったはずです。
切った奴がはじめからイカレテいても尚更のこと。

バラバラにするという発想自体、言葉が生んだものかも知れません。

言葉はどこまで細分化できるのか。

音楽家はジャンルで分かれ括られる事を拒みたがる人が多いですが、拒むくらいなら括られるようなもん作るなと日々思います。

言葉で表すことも細分化もできないものに意味を感じるのはいかかでしょうか。

 

 

 

 

 

 

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