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column3 : ヘンリー・ダーガー
2006/12/03(Sun) 10:22:27
ヘンリー・ダーガーについて何か書こうと思っていますが、ダーガーについて語られる情報は曖昧なものしかなく、ダーガー自身が「外」に与えるイメージすら、ダーガーの死後に多くの研究者によって一種想像された人格ではないのかとさえ思ってしまいます。 ダーガーは生涯、友人一人持たず(家族もいません)アパートの一室で絵を描いていたということが言われていますが、そのこととダーガーの絵や死後アパートに残されていた15000ページ以上の一大叙事詩といわれるタイプされた原稿が直接的な関係を持った解釈として自分達に広められている始末です。 ダーガーの伝記映画作ろうとエドワード・ズウィックという映画監督(ラスト・サムライの監督)が計画しているようです。監督もダーガーと同じイリノイ州シカゴ生まれだからという理由からなのでしょうか。誰も真実を知らないといわれているだけに映画になるということはかなり危険なことのように思います。 映画の最後に「一部はフィクションです」みたいな添え書きがされていたところで、そんなものみて記憶する人もあまりいないように思います。 ダーガーが1892年にアメリカ、シカゴに生まれて彼がまだ幼い頃に、妹を出産する際に母は亡り生まれた妹は里子に出されたまま、兄妹の再会することはなく・・・・。 やがて、彼は施設に入れられます。身体の自由がきかない父は養育出来る状態ではない、と周囲の判断によるものです。 ダーガーは自閉的な様子を見せていました。誰とも口をきかない日も多く、施設の中でも孤立していくのです。少年が何を考えているのか、判断出来ないまま、ダーガーは精神の遅れというレッテルを貼られて、次の施設へと送られてしまいます。 シカゴ郊外にあった精神に支障を来たした子どもたちを収容する施設。 実は、ダーガーの精神の状態は明確だったともいわれています。 その後のダーガーの生きた範囲の中に往来した人々の証言で彼の置かれた状況などが明らかにされていくのですが、少年期から青年期に差し掛かる貴重な時期を日々、悶々と過ごしたと予想するダーガー。 ダーガーは、1973年に誰にも知られずに死んでいます。 映画として製作すると上記のような内容として撮られることになるんではないでしょうか。
ダーガーは孤独であるがゆえにイカレテしまったように捉えられてしまいます。 ダーガーの絵に登場する少女たちはしばしば裸体で描かれるんですが、彼女たちに はペニスがついています。世間知に疎い余りダーガーが性差を知らなかったのではないかという説があります。しかし1892年に生まれて1973年に死んだ人間が性差を知らないで生きることが可能でしょうか? ダーガーの絵の少女の顔は新聞や雑誌の切り抜きをトレースしたものなのです。新聞や雑誌にいくらでも情報はあるでしょう。 性差異を知らずに死んでいったというのはあまりに楽観的ではないでしょうか。 別に自分はダーガーのファンでもなんでもないのですが、60間年も「非現実の王国で」と名のついた物語を妄想していたということに興味を持たないわけにもいかないのです。孤独に作品を作り続けたことに対する嫉妬からくるものも確かにあるのですが、それよりもその作風がバイオレンスでセクシャルということに興味がいきます。
「非現実の王国で」はダーガーが生きている間、人にみせられることがなかった自己完結していたものです。 よってメッセージ性はない(もしくは薄い)ということにも捉えられます。 外に向けられなかった作品は多々存在します。それは表現ではなかったということになりますね。(表現の意味をその漢字から捉えるとしたらですが) 芸術に関して「表現」ほど邪魔なものもないように思います。(それは意識していなくともでてくるものだったりするので、否定するはけではないのですが) 「表現」が安易なような気がしてならないまま「表現」を続けて生きていくはどうゆことなんでしょうか?
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