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2024/11/27(Wed) 04:46:35
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分子分死
2007/03/21(Wed) 21:51:49
私の体を構成している原子や分子は、こうしている最中にも入れ替わり、代謝によって排出されています。 PR この記事にコメントする
無題
人の分子は5年もすると全て入れ替わるといいますね。自分ってなんなんでしょう?
今日地元の友人が遠くに行きました。ここ数日べったりだったので友人のものだった分子が自分のなかにあるかもしれませんね。そう考えると心強いというより気持ち悪いです。僕に取り入れられた友人の分子はもかわいそうですね。
無題
>dera
deraっちの分子の入れ替わりは激しそうね。 吸収(吸引?)力がね。 そう思うと、人に実際に会うことは、重要だし、危険でもあるね。 久し振りにあう友人が変化してみえたり、ギクシャクしたりするのも、そんな物理的なもんなのかもね。
生々流転/永劫回帰
ただの物質が寄り集まって、意識を作り出す。
それぞれの意識はそれぞれのパーソナリティを生み、唯一のかけがえのない個人となる。 その個人を失うのは取り返しがきかない、交換不能な事柄だから、悲しいのだと思います。 二度とその人物に会うことができない。話をすることができない。触れることもできない。 いずれ我々の住む太陽系の太陽も超新星爆発を起こし、すべては雲散霧消することでしょう。バラバラに飛び散った分子はまたそれぞれに引き合い、恒星や惑星となって、新しい太陽系を作るのでしょう。そして、その惑星には生命が生まれ、人類のような存在が生まれるかもしれません。 でも、traという個人は生まれないし、akarumaという個人もまた生まれてこないでしょう。 肉体を構成している分子が分解し交換されようとも、「私」や「あなた」であることは変わらないのだと思います。 死から免れることはできませんが、その人の記憶は残る。記憶の中に生きているから。だから僕は記憶にこだわっているのでしょうね。
無題
>traさん
コメントありがとうございます。 以前、「私は誰かに生かされている」と書いたことをおもいだしました。 人の記憶に生きるというのは、複雑なことですね。 記憶への執拗なこだわりは執拗であればあるほど、むずかしいことですね。 万物は変化しますし、記憶も万物です。 そのことを嫌いアーカイヴィングが各分野で進んだ末に、こないだtraさんが書いていたアーカイヴィングのフィルター化のようなものが進む恐れがsるわけですよね。 アーカイヴィングデータだけが溜まり、その記憶を持つ人はいなくなる。データが膨大になりすぎた時に、一定の規定に満たない情報は削除される。 削除化が進むと、ある時代のデータ(記憶)がないものとされる。1990年代なんて危ないもんですよ笑 |