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鈴木幸希
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相対性理論
2009/07/10(Fri) 00:50:47

すごくどうでもいい話だ。

確か中2の時、リットーミュージックがインディースマガジンの発刊をはじめ、
高校までの間、なんとなく購入していた。

田舎育ちなもんだから、近所のcdショップは、クソみたいなcdしか扱っていなかった事もあり、
わざわざ1時間半、山汽車に揺られ仙台まで出かけた。

その頃は服に対する興味が大きく、cd屋はついでといった具合だ。

なんせ金がないから、両方というわけにはいかない。

そんな時、インディースマガジンは1200円やそこらの値段で、国産のインディースバンドの音源がオムニバス形式で聴く事ができた。

インディースという言葉はある程度の時期を経ると、クソ音楽評論家が語りだすようなもんになっていたけれど、インディースマガジン発刊時は、まだ少し違っていた。

中学の私に”突然ダンボール”を聴かせるような雑誌でだったといえば、飲み込める人は飲み込めるだろう。
それこそ、イカ天の流れも若干汲んでいたわけだ。

その後、あぶらだこ、少年ナイフ、ROVO、オーサカモノレール、二階堂和美などなど、
いまも現役で活動するバンドをこの本のおかげで聴く事になる。

そんな中で、血気盛んな学生時代といえば、ハードコアやパンクを聴く傍ら、小山田圭吾の虜になり、
広末涼子を”広末”などと、同級生を呼び捨てにする感覚を味わった時期。

ナンバーガールの後に、boss the mcのライムが流れるような雑誌。

いってしまえば、今のクラブミュージックのほとんどがインディーレーベルなわけで、
状況が変化しているわけではないけれど、
ことロックに関していえば、なにかを匂わすバンドや音楽が見えにくくなっているような気がした。

バトルスやmonoなんかの方向性ではなく、スーパーカーやクラムボンらへんの話。
要は、バランス感ありつつ進化的なというか。。。。


何でこんなことを書いているかと言えば、ノスタルジックになっただけの話。

相対性理論を聴いただけなのだが・・・。
 

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無題
お久しぶりです。
ご無沙汰しておりました。

80年代のインディペンデント・シーンを語りだすと、僕は止まらなくなりますので、自重しますが…w

確かに最近、ロック系で面白い新人ってのがいませんねー。
みえてないだけかもしれませんけど……。

僕個人としては、ロックそしてバンド形態というのは、80年代で終わっていると思っています。後は拡大再生産しかないって。

どこかで見たようなバンド、どこかで聴いたような音楽。ロックという表現は、80年代であらかたやり尽くしてしまった。僕はそう思うんですよ。

90年代以降、革新的な音楽はクラブ・ミュージックしかない、そこからしか生まれていない。

それを象徴するのが、雑誌DOLLの休刊でしょうね。パンクが登場して30年。ようやくロックは死んだ、と。ちょっとセンチになっちゃいますけど、でも、それが時代の流れなんだと思います。雑誌remixは生き残って欲しいと思いますが……。

もう少し音楽の話を。

ロックおよびパンクは衰退したけど、その精神はクラブ・ミュージックに宿っていると思うのですよ。

パンクとは方法論なんです。

それは、演奏できなくても、音楽理論を学んでいなくても、音楽はできるってこと。パンクがなければ、インディペンデント・レーベルも生まれなかったし、ヒップホップもハウスもテクノもエレクトロニカも存在していなかったでしょうね。

やる気とセンスと少々の機材があれば表現できるんですよ。そこに気づかせてくれた、ってのがパンクの意義なんだと思います。

今はネットがあるから、誰でも自分の表現を発信することができる。本当に良い時代になったと感じますね。雑誌やレーベルという媒体がなくてもアピールできるのですから。今の若い方達が本当に羨ましい。

ただ、懸念材料はあります。

歴史が切断されてしまうということ。雑誌の意義は、自分の好きなアーティストがいかにして生まれてきたのか、その音楽的、芸術的な歴史を俯瞰させることにあると思うんですよ。そういった媒体がなくなるっていうも寂しいものがあります。Studio Voiceも休刊しますしね。

ネットで調べても概観しか分からないし。もう少し突っ込んだ情報を得るには、やっぱり書籍じゃないと無理かも。

なければ作れば良いだけなんですが。それはきっと僕の世代の役目かもしれません。
tra 2009/07/11(Sat)18:32:11 編集
>traさん
自分の場合、80年代の音楽にリアルタイムで耳を傾ける事はなかなかなくて、レコードで聴き直す事が多いのですが、まず気にいる事はないんです。

その時代になにを言いたかったのかというのは、それこそ書物かなんかで得る事はあるんですが、音や歌詞を聴いて感じ取る事は、その時代を生きていないと理解ができないんです。だから表面的にしか聴く事が出来ず、その結果、たいした事じゃないと感じるんです。

その時代に先進的であった事は、偉大であっても、今はまったく意味をなさない事でもあって、どうでもいいという事です。

過去がつきまとうのは道理でしかない。

なにをしてもなになに以降といわれてしまう。
それは単に、時代を経るごとにその時代に生きた人が過去を大きくしてしまうだけの事で、付き合ってても意味がないんです。

そう感じているのに捕われてしまっているのは、極個人的な問題で、やはり音楽には関係ないんです。
akarma 2009/07/12(Sun)02:55:48 編集
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