人伝の話だけれど、
メディアに関して疑問を持っている人がいるという話を聞いた。
「メディアは嘘をつくから」
そんなことを言っていたらしい。
「メディアが嘘をついてもこちらで判断すればいいだけの話だ」という人もいるし。
素直にとらえる人もいる。
昔っから、(それこそ古い雑誌とかをみていいると)そうゆう議題があがるけれども、
なにが変化したわけでもない。
ゴシップを好む人も多い。
要はある出来事があって、それに対して、討論したいだけの話である。
ある出来事に対しての自身の考えが、あたかも自身の人格のようにとらえられてします。
「あれについて、私はこう思います。」
これが”自己主張”というヤツになっている。
アレに関して、あなたがこう思った事は、誰かが思ったことの代弁であることがほとんどである。
私は、”自己主張”というヤツに嫌気が指すもんだから、そんなことはあまりしない。
要するにいい加減な人間である。
そもそもメディアについて、私がどう思っているか、私自身で検討してみた。
我が家にはテレビはないがネット環境にはあるし、暇があればpcの前とレコード屋を行ったり来たりするくらいの事しかしていない。
現代のメディアはどこにあるかといえば、テレビではなくネットワーク中心であることは疑うわけない。
いつも書いているけれど、こちらからメディアに向かう事が一般的な感覚である。
勘違いされがちだが、メディアというのはリアルタイムではなく、すべてがアーカイブである。
アーカイブに対して、虚構だの真実だのという話をしていては、キリがない。(生中継がどうのこうのとかいう話ではなくて)
皆、ある程度の教育の中でアーカイブをそのまま捉えてきたことはなかったはずである。
”歴史”についてがいい例でだ。
例えば、満州事変について、どうのこうのいっても、なにが変化するわけではない。
芯をとらえたところで、なんの面白みもない。
出来事は壊してしまえばいい。
芸術や音楽(ある種芸術もあるが)はそれをやってきた。(その点、文学はバロウズが言ったように、遅れているのかも知れない)
音楽を精神論で語るヤツがあるけれど、そこに何が実ったかといえば、アーカイブの模様が複雑化するだけの話である。
過去の音楽などは、適当な感度で取り込めば、本来の意味での”無意識”が勝手に導いてくれる。
(向いている方向性にもよるけれど)
ただただ、主張の多さにいらついただけの本日のお話。
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