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鈴木幸希
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2026/05/31(Sun) 03:04:41
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frht
2008/03/10(Mon) 22:11:07

またしても何十時間も寝ていないというのに、
やけに音楽が聞こえてくる症状があらわれる。

細部まで異様に聴こえてくるやつだ。

そんな状況で寝るわけにもいくまい。

少し前の雑誌を読み返していたら、
ジム・モリスン、ジミヘン、ブライアンジョーンズ、ジャニス・ジョンプソンは27歳で亡くなっているという記事をみた。
有名なことらしい。

カートコバーンが27歳で自殺したのは知っている。

ジムはオーバードーズor暗殺、ジミヘンもオーバードーズ。カートはショットガン自殺。

死因は様々だけれど、皆27で死んだ。

そういえば、最近、ロックスターは死なない。(それどころか復帰する始末)

死因はともかく、それぞれが何かに達したかぶち当たったか、
そんなころなのかもしれない。

ジムモリスンのアメリカ政府暗殺説というのも、現実味はないけれど、おもしろい。
ジムモリの詩は政府にとって危険だったというわけだ。

現在、個人の言葉はいくらでも反乱出来る環境にあるが、
消して浸透することはないと感じるのは、私の狭くるしい考えか。

ふとした瞬間に気持ちが持っていかれる事がある(感動?することがある)
映画でも何でもない、ちょっとした瞬間のものだけれど、頻繁に遭遇するものでもないのは、
社会の方向性の話。

そろそろ歌でも歌うか笑

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ff
2008/03/06(Thu) 01:07:49
3月5日、本日、20:00~
菊池成孔氏、渋谷アップルストアイベント。

どうせ誰もいかないだろうな・・。
koya←ppo
2008/03/06(Thu) 00:30:09

いつまでたっても仕事で食っていこうという気が起きないのはなんだろうか。

適当にこなして、適当な時期が来ると出世して、適当に忙しくなって。
別に嫌でもなくて。

最近、打ち合わせやらなにやらで所謂エリートさん達とお会いすることが重なった。

やはり、自社内の事や周囲の情勢など、隈なく把握している様子である。
ご立派なもんだし、地位や金も持っていそうでもある。

やればできるのはわかっているけれど、なにかそこに向かう気が起きない。

業種柄、知識というよりは応用力や突発性、柔軟性に長けている必要があるのはわかっていて、
どうゆう方向性でモノを考えれば、そこに辿り着くかも先人を見ていれば大方把握できる。

まるでそこがゴールであるかのように、周囲は動いている。

ただ、どうも動き気になれない。

なぜかって、単に”なんかダサイ”の一言なのだ。

上の考えは、中学生が勉強ばっかヤツ、ダサい・・・といっているのとまったく同意である。
これは単に幼稚な考えでもある。

ただ、自身が学生の頃、懸命になっている人間をダサいと思ったこともないし、
反対になぜそんなに懸命になれるのかが不思議でしょうがなかった。

きっとエリートさんになる為(もしくは何らかの圧力←精神的な事を含めての)である。

型を正確に把握し、対応策を把握(+人間性)・・・この繰り返しを厳密に行うことで。

社会人によく売れる新書のシリーズに”なんとかかんとか術””何とかになる方法”というのがよくある。
あまりに馬鹿げているので目を通したことがなかったが、それではいかんと、最近出た”それ系”の新書を手にとってみると・・・。

そこには信じられない言葉が羅列されてされている。
一種のマニュアルがあり、それに沿う形で行動すると、→こうなる。
みたいなことばかり。(朝起きる時間まで書いてある)

「柔軟に考えを変えて・・・」という一文もよく見られたが、柔軟というよりは強制である。

変な話、誰でも書けそうなもんでもある。



私は”自己”など、存在しない、流動するものだとおもっているという”自己”を持っている。
ただ、その”自己”は、こちらから働きかけて流動させていくということに拒否反応を感じるようである。

”自己”の流動はあくまで無意識でなければ意味がない。

別にぶっ飛んだ人間ではないことはわかっているけれど、型が変な形をしているらしい。
どうもおさまりが悪い事が多すぎる。

形を整えるか、歪ななにかで型を埋めていくか。



歪ななにかだろ。

hie
2008/02/28(Thu) 00:14:29

”一つでは多すぎる”

誰かが書いていた事で、それを読んだ時、同感した言葉。

一つの事に集中すると、効率的ではないという感覚。

ここでいう”一つの事”に誤解が生じないように書くと、
例えば刀職人は刀をつくることに集中しきっている。これが悪いわけがない。

刀を作るという事は製作全体を見据えなければきっと成り立たない。
決して一つではない。

身近なとこでもdjだっても同様。
全体を見通してやらないと話にならない。繋がればいいってもんでもない。

一つでは多すぎるというのは、料理人でいう鍋に火をかける事のようなもんだ。
鍋に火をかけてそればかりを見ていたのでは、時間ばかりが長くすぎてしまう。
監視という一見重要な役割をしているように錯覚するが、
脳はそうゆうわけにはいかない。

鍋を見つめているだけ無駄なわけだ。

”寝ずに考えた”などという発言があるけれど、
あんなもん寝たほうがいい。

よく深夜思考したことを早朝起きて思いなおすと、まるで違う答えが出たりする。
これはあくまでも無意識に委ねた結果であって、長い意識の産物を作る場合、都合が悪かったりする。

その辺の仕事や相談事なら寝てしまえば、次の朝にはなにか変化が見られて、それが結果になったりする。

もちろん意識を保ち続ける事で成りたってきた常人には到底達することのできないモノを思考(制作)する人もいて、それは芸術だったり音楽だったりもする。(私が好んでいるのは多分そうゆうものだし)

鍋を見つめているだけ無駄な出来事は人の心を動かすのかも知れない。

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