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鈴木幸希
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2026/08/15(Sat) 04:28:43
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新宿オカマ賃貸
2007/05/04(Fri) 22:01:10

微妙なGWは休み、仕事、休み、仕事とどうにも予定がつかず遠出もできないので、もっぱらレコ屋。

家の近くにはレコ屋がないので移動が面倒くさい。

今の家(場所)がどうしても気に食わず、1年~2年で引っ越してやろうと考えています。

今日も新宿レコ屋巡りの合間に不動産屋を覗くと、意外と西新宿のあたりは住めなくもない。もちろん新築マンションとはいかないが、鉄筋ボロビルくらいはなんとかなりそうである。

そんな事実がわかると調子に乗って不動産店舗に入ってみたくもなる。
大手でもなんでもない不動産屋にはいると、おばちゃんが麦茶を出してくれる。(時期的に早い気もするけれど、確かに今日は暑かった)

「何をお探しですか?」
変な質問だなと思ったけれど、場所柄なのだろうか、事務所や店舗、駐車場を探す人が多いのだと思いなおす。

「部屋を・・・」
といった途端に「いいのがあるよ」とニヤついている。

”歌舞伎町2丁目!!地下2階!!スケルトン28帖!!エアコン完備!!敷金6ヶ月!!”

みたいなことが書いてある。 

とても家とは思えない内容に、一瞬だまってしまうが、おばちゃんは続ける。

「はやくて3年後には引き払うけど、8万でいいよ。敷金も全額返すし」

地下2階、窓はもちろんない、風呂、トイレはあるがキッチンがない。しかし歌舞伎町で8万のスケルトン28帖は安すぎる。怪しい・・・が魅力的である。そもそもキッチンのない生活が苦かというとそんなこともない。

話を聞いて見ると、もともと地下1階にあるクラブ(何クラブかは聞かなかったが2丁目なら間違いなくアレであろう)のvipルーム兼、経営者の住まいということらしい。
クラブの店主が逃げてそのままなのだそうだ。
しかもスケルトンとは名ばかりで、写真をみると廃墟同然。趣味の悪いソファーや酒瓶が転がっている。
写真そのものも、店舗案内ではなく、現場検証用に撮ったもののようだ。

「もうすぐ清掃屋がはいりますから」とおばちゃん。

物件どころか、このおばちゃんも十分怪しい。

わけあり物件であることは確かだけれど、こんなに安いのなら地価1階のクラブを借りた新しい店主が一緒に借りてもおかしくない。

おばちゃんにその旨を聞いて見ると、新しいクラブの店主から、「別にいらない」と断わられ、逆に困っているそうなのだ。地下2階へは地下1階を経由しないと入れないらしく、別店舗を入れるわけにもいかない。個人の出入りならok ということでの新店主との契約になったそうなのだ。

その結果家賃を下げて理解ある人(おばちゃん的には若い男)を探しているそうなのだ。



食いつかれたわけです。

毎日家に帰るのに2丁目のオカマさんに腕をつかまれながら、辿り着く自宅もオカマさんのお店を経由するというオカマさん三昧になってしまう。地下1階のオカマさんがよって地下2階に下りてくるというあまりにも危険な物件は、もはやオカマさん限定で募集したほうがいいのではないか・・・・・。

新宿から戻り、これを書いている今も少し惹かれている自分はきっとオカマさんの怖さを舐めているのだろうか・・・・。












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bishop self
2007/04/29(Sun) 14:27:46

夜に遊び行く予定ができたので、それまでは家でネットでレコ屋の視聴という晴天にまったく左右されない時間を過ごしているわけですが、気にかかることがあったので一筆。

なにかといえば、cisco recordsのトップページに”新ジャンルとして<ROCK>が追加されました”とある。
これにはクラブミュージックに特化しすぎたシスコの低迷ぶりが窺い知れるし、変な話残念でもある。

音楽が好きな人ほど、そこに壁は設けていないいない場合が多いけれど、何に対しても特化するという形で個人や一定の集団が掘り進めてきたものがあるから、成り立ってきたものも多い。

極端な例でいえば職人という人達がそうで、毎日傘を作る仕事や、箒を作る仕事があったがあったりする。科学者にしても、医科学から脳科学まである。

一見、自分にあった仕事とか、好きでやっているとかいう風にみえけれど、どうやらそうでもない時代がある。
少なくとも昭和初期以前の日本は、ほぼ自営業であったらしいし、それ以後もそもそも何を仕事にするかなんて選んでいられない時代があったようだ。家業というのが代々続いていくのだ。

私の父は公務員、母は看護師だ。父の実家は農家、母の実家は床屋。
理由は知らないけれど、2人とも家業は継いでいない。(だからきっと、私が何を始めても何も言わないのだ、きっとあまり疑問にも思わないのだろう)

私は上京した身だからか、”実家に帰って家を継ぐ”とかそうゆう話が身近に多いように感じる。
そんな話を聞く度に、心から不思議に思うのは個人的にそうゆう教育を受けたからだろう。姉兄も誰一人実家には居ない。(実際、私が実家に帰ったとしても1件しか就職先がないのだけれど・・・・オイちゃんよろしく笑)

個人的に今の仕事は(仕事に対してはいつでも)、レコード屋をやる為の糧としか考えていない部分がある。
以前書いたようなそれは、やばいレコード屋である。(最近やけにレコード屋願望がさらに強まっているのは、なにか原因があるに違いないし、こうゆう時は変な話が舞い込んできたりする。レコード会社の幹部さんと会う機会に恵まれたり、そこに居合わせた人にイベント箱を紹介してもらったりする。

”レコード屋をやりたい”と毎日言っているだけで、なにか近い話が舞い込んでくるのは、レコード屋をやりたいなんてヤツが少ないからだろうし、個人的に考えても、そうゆう話は思い当たる。
会社の同期がサーフィンをかなりやり込んでいるようで(残念ながら私は今のところ2度板の上で遊覧した経験しかないし、きっとそれはサーフィンとは呼ばない)、少し話を聞いていたんだけれど、今後サーフィンショップができたとか、あそこの海がいいとか人から聞いたりなんかしたら彼に伝えてみるに違いない。

なんせ、そうゆうことだ。自分には経験がないからこそ、誰かに伝えたくない。それが稀であればある程、情報は直接的になる。

単純なもんだ。

p,s

ciscoのロックカテゴリーは、やさしいディスクユニオンロック館みたいなイメージです。
いままでネット上で視聴することが難しかった盤を取り扱っていて暇つぶしにはなります。
item196280p1.jpg




←ついステファン・ビショップを購入。期間中は視聴できます。クリック→

mix
2007/04/24(Tue) 22:46:44
極個人的なdj klockへの遺作品として造ったmixが出来上がったので、どうしようかと考えた結果、dj tatsukiに送ってみる事にしました。

tatsukiさんはwhakhakhaでklockとbakuと共演したこともあり、よき理解者であったと考えたからです。
どんな人かというと、タンテを楽器として扱い創作を続ける人というのが簡単な紹介になります。

youtube貼ったので参考までに。



といった感じの事をずーとやってる人です。

昨年末に新作を出したblue foundationの専属djでもあるtatsukiさん。
その様子。






曲自体はマッシブ以降感がぬぐえないのでノーコメントですが、期待はできると思います。(何様だ)

tatsukiが初めの映像で使用しているkorgのzero4ミキサーですが、この映像のような異常にキレのいいトランスフォーム(持続的な音を断続的にしてくれる←説明不足)がついているようですね。
友人Oがこれの上位版(zero8)の購入を考えているようなので、触らせてもらおうと思ってたんですが、その前に購入してしましそうな・・・。



mixは静寂の中の荒っぽい感じが出て、自身のながら気にいりそうです。きっかけに動かされる時は、早いほうがいいに決まっている。
追伸(追心)
2007/04/22(Sun) 21:30:27

人が何を考えているかなんてことはわかるもんじゃないということは、自身の言動からもよくわかることだと思います。(瞬間的だったり、変動的だったりもするから)
それにそんなことは別にわからなくてもいいんですが。

自身で普段 発している言葉が影響して自己人格形成の一端を担っているなんてこともよく聞きますが、実際バカらしい。発する言葉を選んでいるのも、その人格だろうから。

”芯の通った強い人間”なんて言葉がある。認識を間違っていなければ、自身の中になにか変わらない意志を持ち続け、なにかを永続的に行ったりすることだろうと思っている。

”変わらない意志”というのが大切にされて、教育されてきたもんだから、なんの疑問も持たずにそれを受け入れているんだろうし、それを逆手にとったかのように”私は変わらない”と意思を固め、周囲に迷惑がかかったりしている人間なんかがいる。

”変わらない意思”というものには疑問を感じてしまう。(=変えられない意志)

意識的にそうしていることは、誰かとの係り合いで生じてくることがほとんどではないか。

例えば(例えが悪いような気がするが)「私はあの人を愛し続ける」なんて聞いても、あーそうですか。というのが本音のところだ。
”あーそうですか”という本音はどこからくるかというと、自身の人格から来る。

自身の人格はどこからくるか。そんなもんはその辺に散らばっている。そこら辺に人格はあるのだ。

自身の”変わらない意志”というものが、まるでいいように扱われているのは、その辺に散らばっている人格に不安を抱く人格があるということを皆が発見し、不安から逃れたからであろう。

”自分とはなにものか”と問い詰めた結果、自身で死を選んだ人も多い。”変わらない意志”を究極に追及し、形にしていくのは、想像もつかない苦しみ(かなんか)を生むようだ。

「私は変わらない」なんて言葉を簡単に言ってしまい、それを踏みにじられると、まっさきに怒りやなんかで誤魔化そうと血の気の多い人間とはまったく別物だ。


人はどうやら変わり続けるようにできているようだが、社会や宗教や人同士がそれを拒んでしまったようだ。










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