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鈴木幸希
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Drop Time
2011/06/04(Sat) 01:35:19
待ちに待った東信の『Drop Time』が今日発売。

一旦は、南青山のJARDINS des FLEURSでしか取り扱わないようなので、早い者勝ち。



以下、コピペ

この作品は普段我々が目にする美しく飾られた花々の姿だけでなく、
その後、枯れて朽ち果てていくまでの時間の流れを、同じ視点から捉え続けた映像作品です。
さらに東は本来であれば枯れ果てて土に還り、また次の命となる花の姿を
時間の流れを逆戻りさせるかのようにあえて再生し、視覚化させました。

日々花に接し、花と向き合って生きる者だからこそ感じる、花の生き死にという「時間」。
咲くときも、朽ちるときも、命をまっとうするどの瞬間も美しい生命の力強さを
「Drop time」ー滴り落ちる時間の流れの中で感じて頂けたらと思います。

コピペ、以上



東信が花屋だったことなんて知らない頃、なんかの雑誌でみかけたイカれた植栽。



ずっと面白い事を言おうと懸命に考えけた結果、失言。
はじめて興味本位でワークショップに参加した時はそんな印象だった。
(おそらくそれでしかない)

"植物を芸術にまで昇華する"なんて、どっかのライターが書いていたが、
そんなこと意識している様子はない。

植物である事の前提さえを見失う、異常な生々しさが東信が手がけた作品の特徴というか、必然というか。

何においても作品を作る過程に接触する事はあまりない。

運がいい事に東信が作品を手がけているところには2回ほど立ち会った。
今回、映像作品として発売した事はとても重要で。

過程すら作品という事を明確にしたかったのだと思う。

だからといって作品を作る過程において、インスタレーションでもパフォーマンスをするわけでもない。

とても泥臭い、人間的な作業。
そんな方法でできるものは、今にも動き出しそうな不気味な生々しさを発するから魅力的だ。
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未来世紀
2011/05/27(Fri) 01:12:39
今月は中々レコード屋に行けずにいたので、ついつい通販。

Brazilが個人的に再熱していたので、まとめ買い。
日本ではサウダージなんて括りでまとめられるノルデスチ地域に絞って購入。

土地柄、アフリカ系ブラジル人が多く、リズムがヤバイのはその辺の文化からくるものらしい。

サンバなんかのリズムがキライな人は多いけれど、
この辺のリズムは好き嫌いとかいう話でもない。

形容するとすればグルーヴだけがあるイメージ。
※よくわからない形容、、、。

独自の哀愁は人種差別や脱中心主義などからくるものらしいが、
ポルトガル語翻訳は残念ながら大御所のみ。

ジョビンのそれをみても感じられるものは極一握り。

日本人が"歌でどうのこうの"とたいそうな事を言っているのを、不意にみても耳にしてしまう時があるけれど、そもそも文化的に歌の力が存在しない(軽い)のが事実。
受け止める方にも問題はある。(問題になっていない事自体が問題)

文学は芸術に追いつけないが、その場合音楽は芸術に含まれないかもしれない。
こと日本の話。

あー、買い過ぎた、、、。
mtn
2011/05/10(Tue) 01:48:13
今朝、家を出る直前に届いた荷物。

英語で書かれた伝票に、なにを買ったか思い出せないまま出勤。
eBayで落札した機材かなんかだと思いなおしたがが記憶にない。

今頃自宅で爆発でもしてるんだろうな。と気にかかりつつ1日が過ぎる。

先ほど帰宅して、改めて箱を眺めるとアルファベットだが英語ではない。
しかし間違いなく自分宛である。

とりあえず空けてみると記憶がよみがえった。



スペイン産のスプレーである。
約半年前に購入し、記憶から抹消された頃に届いた。

google翻訳で適当なスペイン語を並べshopに直接問い合わせ。
着払いのはずが、現状金を払わずここにある。



手紙が添えられていたのでgoogle翻訳してみると、
"誤る、納期日本私達、ここにサービスする。エンジョイ。違う契約"と翻訳された。

勝手な解釈で"納期が遅れて申し訳ございません、サービスをお送りしますので楽しんで下さい"といったところだが、"違う契約"という一文が謎。

スプレー買ってタグでもするかといえば、目的はステンシルシート。

QPの横あたりに・・。
http://bccks.jp/#B11070,N2

fbd
2011/05/06(Fri) 00:31:46


仕事が進まないので、レコード整理。
といっても、片っ端から聴いてセットリストをつくってる感じ。

昨晩はS4とMAC、KPquadとスクラッチ用のレコードだけ持って現場入り。

酔った明け方に、レコ箱を抱えて地下鉄の階段を昇り降りするあの感じがない。

1回のプレイの為にレコ箱を入れ替える作業は、料理の材料抱えてキッチンに入る料理人の感覚に近いとモリスか誰かが言っていた。

呼ばれていったイベントは、一つ下の世代が中心。ちょっと珍しい。

最新機材持っていったもんだから、「とうとうレコードやめたんだ」なんて
リアクションがある。

レコードはやめてない。ただ買うのはjazzとsoulだけになってきたのは確か。

現行の音楽はもっぱらCDで買う。(データにいかないのは、物質主義なだけ)

レコードとデータのどちらがどうという問題は、なんとなく自己完結しているが大きく間違っているので特に触れない。

レコード屋にレコードに興味のない知り合いと行くほど相手に迷惑な事もない。
※基本は一人で行くようにしている。

なにを思うのかはそれぞれだが、大量のレコードの中からなにかを目指して探しまくっている姿は、非効率すぎてバカらしい。

レコードの買い方はそれぞれだが、変な話10年もレコード屋にいると、
ジャンルも時代も関係なく、フィットするレコードが見つかる。
意識はするがジャケ買いのそれとも違う。

”blackがダサいジャケット着てドアップ”なんてよくあるひどいジャケットにも、
良盤は多い。

ジャケットがすり減ったレコードは、良く聴かれた証拠だし、
年代から比較すれば、大切に扱っていたものも自然とわかる。

あとは匂いでしかない。

shadowが言っていた”1枚1枚に敗れた夢が詰まっている”って言葉が、
少しずつわかってきた。

今は、1曲に対する音楽の重みが軽すぎるのかもしれない。

ちょっと話が暑苦しいので終了。

昨日は父の誕生日。おめでとう。
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