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鈴木幸希
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2026/08/17(Mon) 05:58:33
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3/16発売 菊池成孔 「聴き飽きない人々―〈ロックとフォークのない20世紀〉対談集完全版 」

「200CD菊池成孔セレクション」の続編ともいう感じの本書。

私は彼の大ファンなので一種のコレクター的欲求から、この本を求めてしまっていますが、成ちゃんの作品(音源にしても書物にしても)にあまりハズレはありませんので、彼を無視していた人も見るといいです。

それにしても相変わらず趣味の悪い装本です。今時タレントの自伝でも、ここまで自身のアップを持ってくる人はいないのではないかと。まさにアイドルクラス。

成ちゃんを初めに知ったのは、いつの頃か、東京ザヴィヌルバッハ(成ちゃんと坪口昌恭のデュオ)の音源をなにかの弾みで購入したことから始まります。

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←ザヴィヌルバッハの2人(2000年くらい?)









一見アブストラクトで、ちゃっかり構造的な音楽はクセになります。

そのバンドに”菊池成孔”なんていう一度みたら忘れなれない文字が並んでるもんだから、「この名前なんて読むんだろう?」なんてことから検索すると、本屋で見かけてた本がそこにはあって、それがまた”スペインの宇宙食”なんてタイトルなもんだから記憶に残っていたわけです。

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←”スペインの宇宙食”




道端でスーツ着こんで飯をつつくジャケットに、この時まで(名前と人物が一致する時まで)どっかの評論サブカル野郎だろうと踏んでいたんですね。

その後せっかくの機会だからと買って読んでみたら・・・・・・今に至るわけです。

こんな人、他には知らなかったんですね。

音楽を音楽として捉えていないというか、捉えてるんでしょうけど、なにかその括りはとてつもなく大きいもので、まるで、文化として音源ができているような、なにを言いたいかというと、私には理解できない部分が多いんですね。
「聴くだけでは到底理解できませんよ」なんてことは決して成ちゃんは言わないけれども、そんなふうに私が捉えているもんだから、これはもう勉強するしかなくて、それが永遠続くんでしょうけど・・・。


ずいぶんと乗り遅れている感がありますが、podcastってもんにようやく興味が向きまして、いい番組も結構あるんですね。

さっきも電車で帰宅中に村上隆「エフエム芸術道場」というのを聞いていて、笑いをこらえていたところです。

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trans勝ザヴィヌルfusion(apx remix)
2007/03/14(Wed) 02:11:45
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危ない目にあった。

あまりに値段が高いので、もうとっくに諦めていた座頭市のdvdboxがなんとアウトレットで目の前に現れたのである。

このboxシリーズは第3段まで発売されていてそれぞれが結構な値段なのである。

なにが問題かって、レンタルされているものは大概見終えたようなのであります・・・・。(新シリーズはなぜかレンタルが少ないので未見多し!)

そこに上記の中古品が現れたわけです。

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仕事帰りに例の如く、レコード屋に・・・・なんて思っていたんですが、今日は気分を変え、機材屋へ。先日、家中の機材を売りに出した為、なんだか物悲しくて見に行ったわけです。

しかし機材もパッとしたもんがなく、結局普段いかないレコード屋へ行くと、なぜかジョー・ザヴィヌルの最近発売した編集版だかリマスター盤の横に並んでいました。

ジョー・ザヴィヌル~座頭市boxset~ウェイン・ショーターの流れ。これでは勝新太郎までウェザー・リポートのメンバーのようであります。(いや、まじで)
jazzでもfusionコーナーでもない、店頭の一番目立つところにである。(来日?)

そんなこんなで座頭市boxsetがはじめに目に入ったもんだから、どうもレコード探しが乗らないんですね。
手だけ動いてジャケさえ見ていない状況をレコードファンなら何度か体験していると思いますが、なんでしょうね、あの感じ。 (そしてまったく知らない曲なのに手に止まる感じ)

だらだらと普段対して掘りもしないfunkコーナーなんかを掘ったりなんかしたもんだから、余計なものまで掘りあててしまいました。

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←transfusion / les de melre(de la soulやshadowなんかがサンプリングしてちょっとしたレコに至る)




ジャケのドラムの男がリチャード D.ジェイムスに似ていたので覚えていたのだけれど、これはうれしい一枚です。

なんの話かわかんないうちに、もう2時だ・・・・。
レコード聴いて寝ます。






midiさよなら
2007/03/11(Sun) 22:42:02

ふと思い立ったというか、いつかは決意しなければいけない事を実行に移すときが来ました。

なにごとかと・・・。

家の音楽機材を一新するんです。(大したことででもない・・・・いや・・・・どっちだ)



そもそも、そんな音楽機材を買い集めだしたのは5~6年前になるんじゃないでしょうか。
その頃はオリジナルpcとmidi機器を販売している店でバイトしていました。

楽器できないけど音楽を作りたいなーなんてことになり、そこに通ってたんですね。
まずはサンプラーでも買うかってなった時にmpc2000しか知らなかったわけです。

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←mpc2000






いざ買いにいったら、中古のくせに高いんですね。

慎重な買い物なので、店員さんにいろいろ聞いていると、どうもその店員さんはmpcが嫌いらしく、「使いずらい」とか「めんどくさい」とかしか言わないわけです。
何も知らない自分からすると信憑性があるわけですね。(後にその店員さんは松○さんということが判明)

そんなこんなで店頭では買わずに改めてnetで仕様や価格を調べると、その店舗でバイト募集してたんです。
興味本位で面接受けてバイトすることにしたんですね。

バイトで入った時は、ちょうど3階建てのビルに移転して間もない頃で機材やらソフトがあまりうまくまとまってなかったんですね。
1階がpc、その他周辺機器、買取ブース
2階が新品機材、音楽ソフト
3階が中古機材
って感じでした。
どの階の担当になるかで大きくテンションが変わってくるわけです。
「1階は機材ねーし嫌だな~」なんて思ってると、「1階でお願いします」と他人行儀な店長。

どうもこの1階pcコーナーの新設の為の増員だったようで、そこのフロアには歴の短い4人のバイトと副店長(後の神)といった感じ。(あと買取に3人くらいか)

そんなこんなでバイトがはじまり、皆の一声目が「鈴木くんは何使ってんの?」って機材屋らしい質問ばかり。
「ターンテーブルしかもってないですよ」なんていうと、皆の眼の色が変化するわけです。
「じゃあcubaseだな!!」「pcも組もう!!パーツ取り置きしとくよ!!」「インターフェイスはどうする!!?」

LEScreenshot1.jpg




←cubase






サンプラーを買おうと思っているのに皆pcでの作曲を薦めてきたんです。
その時cubaseというシーケンスソフトがバージョンアップした時期で革新的に機能が増えたんですね。
pcに関してもpen4のちょっとしたヤツがある程度の値段で組めるようになっていて。

今思うと皆が新味にpcを薦めた理由がわかるんですが。

んではじめ2か月のバイト代はすべてpc(自作初号機)とソフトとシンセとインターフェイスに消え・・・。

そのうちに1階pcフロアに音楽作成ソフトが移動してきて、機材屋で働いてる感が出ると共に、一日中ソフトと面を向き合うわけですから少しずつ覚えるわけです。(cubaseだけ)

「知識が増えると機材が増える」といったのは2階の番人(自宅は機材だらけでエレクトリカルパレード状態)。
実際それは人によるところがある問題発言なんですが、あながち間違いでもなく、私も自然といろいろな機材に目が行くわけです。

その後、適当に買っては売ってを繰り返して、なんとなくお気に入りの1Uラック音源が何台か今も残っているんですが、これがさっぱり使わないんですね。
全部ソフトで完結してしまうんです。
ハナっから加工しまくるやり方なので、元の音源はなんでもよかったりするんですね。

それならソフトとコントローラーに重点を置こうと思ったのはもう2年位前なんですが、どうも腰が重いもんで。

重い腰を無理やりあげて、先ほどnetで機材屋の引き取り買取というのを済ませ(偶然、手数料無料期間中!)、これから説明書やなんか周辺機器を押し入れから探し出そうというところです。

売ったお金で、以前からほしかったコントローラーを買おうとおもっています。
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←これ、remote25sl





これがかなり便利なんですね。auto map機能というのがソフトと勝手に連動してくれまして。
音楽制作といっても半分は設定や、トラブル対応に追われているようなところがあるんで、どんどん簡素化です。





automatism
2007/03/10(Sat) 03:19:37

自動記述について書くと、いつか書いていたので書こうと思います。

自動記述=オートマティズム。

こんな感じで書き始めると、どっかのコピーや解説のように延々つまらない文章が続いてしまうので、もう後悔しているわけです。

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←アンドレ・ブルトン著 「ナジャ」 (小説のシュルレアリスムってことらしい妙本)








自動記述がどうゆうことかってことだけ前提に置きたいので、以下コピペです。

自動記述、自動現象。そもそもは生理学・心理学用語であり、意識の介在なしに動作を行なってしまう現象を示す。1920年代ヨーロッパのシュルレアリストたちはこの現象を表現に応用し、理性によるコントロールを取り除いて意識下のイメージを記述することを目指した。自由に思いつくままの言葉を記したA・ブルトンとF・スーポーによる詩『磁場』が嚆矢とされる。F・ピカビアのインクのしみやJ・アルプのちぎり絵、M・エルンストのフロッタージュ、O・ドミンゲスのデカルコマニー等がそれに続く。第二次大戦前後にブルトン、エルンストらはアメリカに亡命するが、アメリカでもオートマティズムの方法論は注目され、A・ゴーキーやJ・ポロックらがアクション・ペインティングを産み出すきっかけとなった。



ブルトンの文章による自動記述以降とも言われるフロッタージュや、アクションペインティングは高校生だった頃の私が知っていて実践したくらいですから(美術同好会にいたんです。初年度計2名の同好会。オサダはどうしているのか?笑)、なんというか一種の手法(方法)として認知されていますね。(コラージュなんかもそうだ)
シュルレアリスムは現在は一般美術教育の一環となってるでしょうね。義務教育の段階では、シュルレアリスムやダダが生んだ方法は教育されなかったように思いますが、美大やなんかではそうゆうことばっかするんでしょう。
なぜ義務教育の段階で避けられているのかも問題になりそうですが、記憶していないことが多いので・・・。


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←マックス・エルンストのコラージュによるもの 
  (彼の奇書といわれる全編コラージュの”百頭女”はまだ未読です)










「理性によるコントロールを取り除いて意識下のイメージを記述する」


自動記述はそれこそ誰にでもできる行為です。
私も以前やってみたことがあります。(ノート5枚分くらいですが。←なぜそれくらいで終了したかって多分聴いていたアルバムが終了したんでしょう。私の行動は案外cdやレコードの終了に支配されるところがあります笑)

私がやってみた感じ、なにか現在を断片的にそのまま書きとっているようなものになりました。
目に見えること、書いているうちに手がしびれてきたこと、それに気がついたこと、そのことで意識が脳にいったこと、何度も同じことを書いているんじゃないかとバイタリティのなさに不安を感じたこと。その時々一瞬一瞬を書きとるという作業になったわけです。

ただそれも、思考自体に書くという行為が追いつかないもんで尚更断片的になってしまうんですね。
私が試した感じそんなもんでした。

ただこれを毎日のように延々と続けていると、どうも気がどうにかなるようです。
ブルトンはフィリップ・スーポーという男と2人で毎日のように自動記述に取り組んだようですが、自動記述のスピードが猛スピードになりのめり込むほど狂気に近い状態になるというんです。
「窓から外を見たら飛び降りたくなった」とか「外にでると奇妙な幻覚に襲われた」とかいうコメントを残しているようです。

私は物書きではないですから、何とも言えないんですが、文章を書いている作家さんやライターさんなんかは、こうゆう一種自動記述的な経験をされたことがあるのではないでしょうか?

私などヒドイもので、ブログの記事を「バー」っと書いて、後なり読み返すと、なんか変なことを言っていたり、思ってもいないことを書いていたりすることがあります。(そして次の日なんかには忘れている)

日常的なことなんでしょうね。

そういえば永遠スクラッチしている時なんかもあります。それと同じで永遠ソロパートを引き続けるギタリストなんかも、もはや自分の意思とは別のところで弾いているんでしょうね。


少し話変わって。

茂木健一郎が言っていたんですが、ランボーだかデカルトが言った”我思うゆえに我あり”という言葉がありますね。
その当時の哲学では最先端というか、前衛的だったこの言葉も現在では、小中学生がこの哲学をあたりまえのように認識した上で自殺したりするって。



我思うゆえに我があるのは、どうも通常意識状態(←日常という感じでとらえてください)でしか意味をなさないんじゃないかと。
少し日常のスピードがあがったり(超現実状態とでもいうのでしょうか)、意識が飛んでいる時(寝る前とかそうゆうことでもいいです)なんかは、”誰かに私が考えられている”というような状態を感じざる負えなくなるようです。
禅なんかもそうなんじゃないでしょうか。自己を見つめることをしようとすると、どうも内部へ向かっていくイメージをするけれども、そのことに集中することで外部との接続を途絶えたりすると、意外と内部には何もないような状態が禅の目的とするところではないでしょうか。(←大雑把にね)


眠いので眠ります。

ではまたー。

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